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煙草の花
日田越の峠の小村花たばこ 吉田南窓子
「俳諧歳時記」に、
煙草は茄科の一年生草本にて暖地に栽培す。葉は大なる楕円形にして稍尖頭をなし、茎と葉とに共に粘質の毛茸あり。花は漏斗状をなせる合弁花にして、茎頭に短穂状に排列し、其色淡紅紫色にして美なり。今畑に栽培せるものを見るに、主として葉を採取するが目的のものなれば、花梗を出せば速に心を摘み、又腋芽も力めて除去し、花は悉く咲かしめず。種子を取るものに花を残せり。
とある。
たばこの日本伝来時期について、文献の多くは元亀、天正年間(一五七〇~九二)、あるいは天正末年か文禄年間(一五九二~九五)などとあるが、この説を裏づける資料はない。しかし、古文献によると、たばこを伝えたのは南蛮船(ポルトガル船)の乗組員で、彼らは初め葉を巻いて吸っていたが、やがて吸管を持参して吸うようになった。その名をきせるという、わが国もこれに倣い銅鉄でつくる。元和一年(一六一五)「キセルの中間に竹を用う、この竹をラウという」とある。
さて、随筆に「煙草の花」(田中冬二)がある。
青い煙草の畑に、そのうす紅色の花が咲く頃になると、もう初秋である。日中は未だ残暑が、なかなかきびしいが、朝晩はもう冷え冷えする。村の家々は煙草の収穫に忙しい。刈りとった煙草の葉は、広庭に縄を張ってかけつらねる。軒先や土蔵や納屋のめぐりにも懸ける。家の中の梁にも吊るされる。それでもまだ足りず、座敷の中にまで懸けられ、時計もそのかげになって見えない。この懸煙草に村人は何より天候を気遣ふ。それ故夜半にも起き出して、雨戸を細目にあけて風通しをよくしたり、また雨催ひだと、ぴったり閉ぢて湿りを防いだりする。
しずかな秋の夜、板敷で女達は煙草の葉を一枚一枚たんねんに延ばしてゐる。下の土間ではこほろぎがないてゐる。縁先へ出ると軒端に吊るした煙草の葉の隙間から、銀河がしらじらと見える。
この村は鶏放し飼ひ花たばこ 大堀 柊花
煙草の花(たばこのはな)元亀(げんき)天正(てんしょう)文禄(ぶんろく)
力めて(つとめて)漏斗(ろうと)稍(やや)花梗(くわかう
日田越の峠の小村花たばこ 吉田南窓子
「俳諧歳時記」に、
煙草は茄科の一年生草本にて暖地に栽培す。葉は大なる楕円形にして稍尖頭をなし、茎と葉とに共に粘質の毛茸あり。花は漏斗状をなせる合弁花にして、茎頭に短穂状に排列し、其色淡紅紫色にして美なり。今畑に栽培せるものを見るに、主として葉を採取するが目的のものなれば、花梗を出せば速に心を摘み、又腋芽も力めて除去し、花は悉く咲かしめず。種子を取るものに花を残せり。
とある。
たばこの日本伝来時期について、文献の多くは元亀、天正年間(一五七〇~九二)、あるいは天正末年か文禄年間(一五九二~九五)などとあるが、この説を裏づける資料はない。しかし、古文献によると、たばこを伝えたのは南蛮船(ポルトガル船)の乗組員で、彼らは初め葉を巻いて吸っていたが、やがて吸管を持参して吸うようになった。その名をきせるという、わが国もこれに倣い銅鉄でつくる。元和一年(一六一五)「キセルの中間に竹を用う、この竹をラウという」とある。
さて、随筆に「煙草の花」(田中冬二)がある。
青い煙草の畑に、そのうす紅色の花が咲く頃になると、もう初秋である。日中は未だ残暑が、なかなかきびしいが、朝晩はもう冷え冷えする。村の家々は煙草の収穫に忙しい。刈りとった煙草の葉は、広庭に縄を張ってかけつらねる。軒先や土蔵や納屋のめぐりにも懸ける。家の中の梁にも吊るされる。それでもまだ足りず、座敷の中にまで懸けられ、時計もそのかげになって見えない。この懸煙草に村人は何より天候を気遣ふ。それ故夜半にも起き出して、雨戸を細目にあけて風通しをよくしたり、また雨催ひだと、ぴったり閉ぢて湿りを防いだりする。
しずかな秋の夜、板敷で女達は煙草の葉を一枚一枚たんねんに延ばしてゐる。下の土間ではこほろぎがないてゐる。縁先へ出ると軒端に吊るした煙草の葉の隙間から、銀河がしらじらと見える。
この村は鶏放し飼ひ花たばこ 大堀 柊花
煙草の花(たばこのはな)元亀(げんき)天正(てんしょう)文禄(ぶんろく)
力めて(つとめて)漏斗(ろうと)稍(やや)花梗(くわかう
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夾竹桃陋巷の夏はじまりぬ 大橋櫻坡子
「俳諧歳時記」に、
高さ丈余に及ぶ常緑潅木、性極めて日光を好む植物にて、日当りよき場所を選びて植うる時は夏期香ある花を開く、葉は形桃の葉に似たれども堅く厚く、表濃緑、裏は淡緑色、三葉づつ輪生するを常とす。花は石楠花に似たる紅色二重弁のものを、盛夏梢上に聚り開きて花期長し、時に黄白、或は八重咲きのものもあり。
とある。
夾竹桃はキョウチクトウ科の常緑大低木。中国名の夾竹桃は、葉が竹の葉のように狭く、花がモモの花に似ている意味で、和名はその中国名に基づく。インド原産で日本へは江戸時代中期に入る。
インドでは紀元前より薬用に使われ、古代インド医学の原典「チャラカ本集」には、水浸液を内服して皮膚病、中毒症、創傷の治療に用いると記される。仏典には、サンスクリット名の如羅毘羅樹の名で載り、謀反人にその花輪をかぶせたとある。日本では「本草薬名備考」(一七六六)に初めて夾竹桃の名があがる。
さて、随筆に「夾竹桃の家の女」(中島敦)がある。
夾竹桃が紅い花を簇らせてゐる家の前まで来た時、私の疲れは耐へ難いものになって来た。家の前に一尺余りの高さに築いた六畳ほどの大石畳がある。それが此の家の先祖代々の墓なのだが、その横を通って、薄暗い家の中を覗き込むと、誰もゐない。太い丸竹を並べた床の上に、白い猫が一匹ねそべってゐるだけである。猫は眼をさまして此方を見たが、一寸咎めるやうに鼻の上を顰めたきりで、又目を細くして寝てしまった。島民の家故、別に遠慮することもないので、勝手に上がり端に腰かけて休むことにした。夾竹桃が三四本、一杯に花をつけてゐる。墓の石畳の上にも点々と桃色の花が落ちてゐた。風は依然として無い。空気が重くドロリと液体化して、生温い糊のやうにねばねばと皮膚にまとひつく。煙草を一本吸ひ終って殻を捨てた拍子に、一寸後ろを向いて家の中を見ると、驚いた。人がゐる。一人の女が。
空港へまっしぐらなり夾竹桃 大堀 柊花
夾竹桃(けふちくたう)聚り(あつまり)如羅毘羅樹(からびらじゅ)
本草薬名備考(ほんぞうやくみょうびこう)簇らせ(むらがらせ)顰め(しかめ)
「俳諧歳時記」に、
高さ丈余に及ぶ常緑潅木、性極めて日光を好む植物にて、日当りよき場所を選びて植うる時は夏期香ある花を開く、葉は形桃の葉に似たれども堅く厚く、表濃緑、裏は淡緑色、三葉づつ輪生するを常とす。花は石楠花に似たる紅色二重弁のものを、盛夏梢上に聚り開きて花期長し、時に黄白、或は八重咲きのものもあり。
とある。
夾竹桃はキョウチクトウ科の常緑大低木。中国名の夾竹桃は、葉が竹の葉のように狭く、花がモモの花に似ている意味で、和名はその中国名に基づく。インド原産で日本へは江戸時代中期に入る。
インドでは紀元前より薬用に使われ、古代インド医学の原典「チャラカ本集」には、水浸液を内服して皮膚病、中毒症、創傷の治療に用いると記される。仏典には、サンスクリット名の如羅毘羅樹の名で載り、謀反人にその花輪をかぶせたとある。日本では「本草薬名備考」(一七六六)に初めて夾竹桃の名があがる。
さて、随筆に「夾竹桃の家の女」(中島敦)がある。
夾竹桃が紅い花を簇らせてゐる家の前まで来た時、私の疲れは耐へ難いものになって来た。家の前に一尺余りの高さに築いた六畳ほどの大石畳がある。それが此の家の先祖代々の墓なのだが、その横を通って、薄暗い家の中を覗き込むと、誰もゐない。太い丸竹を並べた床の上に、白い猫が一匹ねそべってゐるだけである。猫は眼をさまして此方を見たが、一寸咎めるやうに鼻の上を顰めたきりで、又目を細くして寝てしまった。島民の家故、別に遠慮することもないので、勝手に上がり端に腰かけて休むことにした。夾竹桃が三四本、一杯に花をつけてゐる。墓の石畳の上にも点々と桃色の花が落ちてゐた。風は依然として無い。空気が重くドロリと液体化して、生温い糊のやうにねばねばと皮膚にまとひつく。煙草を一本吸ひ終って殻を捨てた拍子に、一寸後ろを向いて家の中を見ると、驚いた。人がゐる。一人の女が。
空港へまっしぐらなり夾竹桃 大堀 柊花
夾竹桃(けふちくたう)聚り(あつまり)如羅毘羅樹(からびらじゅ)
本草薬名備考(ほんぞうやくみょうびこう)簇らせ(むらがらせ)顰め(しかめ)
時計草
時計草夜は眠るとは知らざりき 前内 木耳
「俳諧歳時記」に、
蔓性の多年草、巻鬚ありて他物に絡みて生ず、葉は常緑にて深く掌状に裂け、葉柄の基に托葉をもつ、夏の頃紅色に紫暈のある大形の美花を開く、形稍時計の盤面に似たるより名ある所、此花日中に開きて夜間は閉づ、花の後橙色の実を結ぶ。一名「ぼろんかづら」。
とある。
時計草はトケイソウ科の常緑つる草。夏から秋、径七~八センチの花を開く。花弁と萼片は淡紅色を帯び、副花冠は紫色が蛇の目状に入る。糸状の副花冠と花弁と萼片を時計の文字盤に見立てて名がついた。ブラジル、アルゼンチン原産で、享保八年(一七二三)にオランダから渡来したといわれる。耐寒性が強く関東地方以西では露地で越冬する。
さて、随筆に「時計草」(澁澤龍彦)がある。
十六世紀の末ごろ、初めて南米に渡ったスペインの伝道師たちも、夏の日を浴びて咲いている珍奇なトケイソウの花を見て、ミニアチュール的想像力をほしいままにしたのではないだろうか。彼らはこの花をパッションフラワー、すなわち「キリスト受難の花」と名づけたのである。
スペインの伝道師たちにならって、ミニアチュ―ル的想像力をもってトケイソウの花を描写するとすれば、次のようになるであろう。
「じっと眺めていると、トケイソウの裂けた葉は刑吏の槍に、のびた巻きひげは鞭に見えてきた。花の中心にそそり立つ子房の柱は十字架に、三本の花柱は、キリストの両手両足に打ちこんだ三本の釘にそっくりであった。五つの葯はキリストの五つの傷痕、雄蕊はかなづち、副冠は茨の冠、萼は円光、花の白い部分は純潔、そして青い部分は天国にほかならなかった。五枚の萼片と五枚の花弁とを合わせた花の周辺の十枚は、ペテロとユダをのぞく十人の使徒を思わせた」
時計草雄しべと雌しべ交はらず 大堀 柊花
時計草(とけいさう)萼片(がくへん)葯(やく)刑吏(けいり)
時計草夜は眠るとは知らざりき 前内 木耳
「俳諧歳時記」に、
蔓性の多年草、巻鬚ありて他物に絡みて生ず、葉は常緑にて深く掌状に裂け、葉柄の基に托葉をもつ、夏の頃紅色に紫暈のある大形の美花を開く、形稍時計の盤面に似たるより名ある所、此花日中に開きて夜間は閉づ、花の後橙色の実を結ぶ。一名「ぼろんかづら」。
とある。
時計草はトケイソウ科の常緑つる草。夏から秋、径七~八センチの花を開く。花弁と萼片は淡紅色を帯び、副花冠は紫色が蛇の目状に入る。糸状の副花冠と花弁と萼片を時計の文字盤に見立てて名がついた。ブラジル、アルゼンチン原産で、享保八年(一七二三)にオランダから渡来したといわれる。耐寒性が強く関東地方以西では露地で越冬する。
さて、随筆に「時計草」(澁澤龍彦)がある。
十六世紀の末ごろ、初めて南米に渡ったスペインの伝道師たちも、夏の日を浴びて咲いている珍奇なトケイソウの花を見て、ミニアチュール的想像力をほしいままにしたのではないだろうか。彼らはこの花をパッションフラワー、すなわち「キリスト受難の花」と名づけたのである。
スペインの伝道師たちにならって、ミニアチュ―ル的想像力をもってトケイソウの花を描写するとすれば、次のようになるであろう。
「じっと眺めていると、トケイソウの裂けた葉は刑吏の槍に、のびた巻きひげは鞭に見えてきた。花の中心にそそり立つ子房の柱は十字架に、三本の花柱は、キリストの両手両足に打ちこんだ三本の釘にそっくりであった。五つの葯はキリストの五つの傷痕、雄蕊はかなづち、副冠は茨の冠、萼は円光、花の白い部分は純潔、そして青い部分は天国にほかならなかった。五枚の萼片と五枚の花弁とを合わせた花の周辺の十枚は、ペテロとユダをのぞく十人の使徒を思わせた」
時計草雄しべと雌しべ交はらず 大堀 柊花
時計草(とけいさう)萼片(がくへん)葯(やく)刑吏(けいり)
禁制の不浄門より春の風
黒松を楯のごとくに梅ひらく
二の丸の茶室のあたり梅盛り
白梅を見て紅梅へ歩を返す
薄紅梅ほろりとろりとひらきけり
金色の鯉を浮かべて水温む
円窓の仄と点りて梅見茶屋
一途には物思はざり薄氷
氏よりも育ちのよくて君子蘭
出生のいづれを問はず木の実植う
黒松を楯のごとくに梅ひらく
二の丸の茶室のあたり梅盛り
白梅を見て紅梅へ歩を返す
薄紅梅ほろりとろりとひらきけり
金色の鯉を浮かべて水温む
円窓の仄と点りて梅見茶屋
一途には物思はざり薄氷
氏よりも育ちのよくて君子蘭
出生のいづれを問はず木の実植う
治聾酒の酔ふほどもなくさめにけり 村上 鬼城
「俳諧歳時記」に、
立春から五日目の戊の日を春の社日、春社といひ、この日に酒を飲むと聾が治るといふ言ひ伝へがあって、今でも農家などで、耳の遠い子供に酒を飲ませてゐるのをよく見受けることがある。その酒を治聾酒といふのであるが、酒は有合せのものでよく、別段治聾酒といふ特定の酒がある訳ではない。
とある。
社日は、春分・秋分に最も近い前後の戊の日。春の社日を春社、秋の社日を秋社という。たんに社日といえば春社のことで、秋社は秋の社日・後の社日といって区別する。社日は社の祭を営む日の意で、社とは中国で土地の守護神・ないしは部族の守護神・またはその祭祀をいった。
中国から伝来した風習として、春の社日に酒を飲むと、聾がなおると伝えられ、これを治聾酒という。また、古く中国では、この日には必ず雨が降るといわれ、その雨を社翁といった。朝鮮では、上元の日に薬酒をのんで、耳がさとく、よい事をきくようにと祝う。これを耳明酒という。
さて、落語に「棒屋」がある。
どんな棒でもそろえてあるという棒屋、もしあつらえの棒がないときは、罰金を出すというので、町内の若い者が出かけて行く。びんぼうとか、泥棒とか、難題を吹っかけるが、いろいろ頓知をきかして出してくるので、いりもしないものを買わされてしまう。つんぼうを出してくれというと、金挺の柄にする、挺つんぼ、というカシの棒を出してくる。「金挺つんぼか、感心感心。じゃあ、このつんぼを五本もらって帰ろう」「つんぼはあまり仕入れませんので、それ一本きりしかございません」「ははあ、こんなものは売れが遠いので仕込まねえのか」「いいえ、耳が遠うございます」
治聾酒をおもはずこぼす膝の上 大堀 柊花
治聾酒(ぢろうしゅ)戊(つちのえ)社日(しゃにち)社翁(しゃおう)
耳明酒(じめいしゅ)棒屋(ぼうや)金挺(かなてこ)
「俳諧歳時記」に、
立春から五日目の戊の日を春の社日、春社といひ、この日に酒を飲むと聾が治るといふ言ひ伝へがあって、今でも農家などで、耳の遠い子供に酒を飲ませてゐるのをよく見受けることがある。その酒を治聾酒といふのであるが、酒は有合せのものでよく、別段治聾酒といふ特定の酒がある訳ではない。
とある。
社日は、春分・秋分に最も近い前後の戊の日。春の社日を春社、秋の社日を秋社という。たんに社日といえば春社のことで、秋社は秋の社日・後の社日といって区別する。社日は社の祭を営む日の意で、社とは中国で土地の守護神・ないしは部族の守護神・またはその祭祀をいった。
中国から伝来した風習として、春の社日に酒を飲むと、聾がなおると伝えられ、これを治聾酒という。また、古く中国では、この日には必ず雨が降るといわれ、その雨を社翁といった。朝鮮では、上元の日に薬酒をのんで、耳がさとく、よい事をきくようにと祝う。これを耳明酒という。
さて、落語に「棒屋」がある。
どんな棒でもそろえてあるという棒屋、もしあつらえの棒がないときは、罰金を出すというので、町内の若い者が出かけて行く。びんぼうとか、泥棒とか、難題を吹っかけるが、いろいろ頓知をきかして出してくるので、いりもしないものを買わされてしまう。つんぼうを出してくれというと、金挺の柄にする、挺つんぼ、というカシの棒を出してくる。「金挺つんぼか、感心感心。じゃあ、このつんぼを五本もらって帰ろう」「つんぼはあまり仕入れませんので、それ一本きりしかございません」「ははあ、こんなものは売れが遠いので仕込まねえのか」「いいえ、耳が遠うございます」
治聾酒をおもはずこぼす膝の上 大堀 柊花
治聾酒(ぢろうしゅ)戊(つちのえ)社日(しゃにち)社翁(しゃおう)
耳明酒(じめいしゅ)棒屋(ぼうや)金挺(かなてこ)