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  奥能登は七浦かけて秋祭  升谷一灯

   「ホトトギス新歳時記」に、
   秋季に行われる神社の祭礼をいう。春祭が農事の開始時に農作を祈って行われるのに対して、秋祭は秋の収穫期に新穀の豊穣を神に感謝する意味で行うものである。こうしたことから秋祭は田舎にその本来の姿が見られる。里祭、浦祭、村祭、在祭、などとも呼ばれる。
  とある。
   秋祭は秋の収穫感謝祭。秋という言葉は飽食の祭からきているという。春からの農耕を助け稲田を守ってくれた田の神に収穫を感謝し、新穀でつくった神饌、新酒でもてなすのが秋祭である。今日の勤労感謝の日のもとになった新嘗祭は、収穫祭であると同時に、翌年の種子たる稲の霊を誕生させる儀式であった。
   南北に長い日本列島のこととて刈上祭の時期はまちまちで、東北地方では、三九日といって、旧暦九月、関東、中部地方では、旧暦十月十日を十日夜とよんで収穫祭を行う。子供たちが新藁で藁鉄砲をつくって地面をたたいて回る。似たような行事を近畿、中国、四国地方では亥の子節供とよんで、「亥の子突きの石」で地面をたたいて回る。有名な「奥能登のあえのこと」は、民間の新嘗祭として知られ、重要無形民俗文化財に指定されている。「あえ」は嘗で、饗応することである。

   さて、「祭囃子」は祭礼囃子ともいい、神輿が御旅所に渡御するいわゆる神幸祭に、付祭と称して氏子たちが出す山車、踊屋台などの運行に、山車上であるいは徒歩で奏する奏楽をいう。
   祭礼が華々しく催されるようになったのは平安中期からで、まだ山車もなく、太鼓と鉦鼓を棒で担いで囃して歩いた。このころはむしろ田楽の躍囃子のほうが主流であった。山車の類が永続的に出るようになるのは室町初期の祇園祭からと思われる。
   関東は天下祭と呼ばれた山王祭、神田祭のいわゆる江戸祭囃子(神田囃子)が普及している。大太鼓、締太鼓、篠笛、当り鉦からなり、粋で技巧的な曲が目立つ。

    町よりもやしろ古びて秋祭  大堀柊花
  飽食(あきぐひ)神饌(しんせん)新嘗祭(にいなめさい)十日夜(とうかんや)
  嘗(あえ)鉦鼓(しょうこ)躍囃子(おどりばやし)当り鉦(あたりがね)
  刈上祭(かりあげまつり)付祭(つけまつり)山車(だし)    
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吹かれては寄り合ふ秋のあめんぼう
水澄みて苑に丹の橋石の橋
犬枇杷にほのと紅さす白露かな
人はみな忘れやすくて彼岸花
盗賊の墓は日蔭に秋暑し
取的の朝の買物秋ぐもり
われとわが声に溺れて月鈴子
秋灯にぬぎし着物のわだかまる
臥待や昔わが身に待つ辛さ
山荘は丸太のにほひ濃竜胆
 舞台果て奈落の暗さ虫の鳴く  片岡我當
 
   「俳諧歳時記」に、
   単に虫といひて、秋に鳴くいろいろの虫の総称とす。「虫籠」松虫・鈴虫・等を飼ふに用ふる籠にして、竹を削りて精巧に造れるもの、古くは虫屋といへり。「虫売」初秋の頃街々に荷を下ろし、鳴虫をひさぐ。昔より今もかはらぬ優しき都会の夜景なり。虫の種類は、鈴虫・松虫・轡虫・朝鈴など。「虫合せ」は虫の鳴き合せにて、声のよしあしを合せて遊ぶをいふ。「虫聞き」は虫の鳴声を慕ひて、夕方より郊外野山に出向くもの、昔は相当広く行はれたる風流韻事なり。浮世絵などに、この虫聞きの図数多あり。また「虫選び」は、古、殿上人の嵯峨野などの京都郊外に逍遥して鳴く虫を採り、籠に入れて宮中に奉りしをいふ。
  とある。
   「源氏物語」横笛の巻に、「露しげき葎の宿にいにしへの 秋にかはらぬ虫の声かな」とみえる。秋の淋しさの演出の一つである。また「山の井」に、「虫ふく嵐の山のべのけしき、とぼしありく行燈のかげに、小倉の里もたどたどしからぬ有様、また、させもが露を命にすだく心ばへ、暮れ行く秋を惜しみなきする野辺の哀れさ」とみえ、情感に通う季題でもある。

   さて、黙阿弥に「島鵆月白波」(明治十四初)がある。散切物の白浪狂言であるが、その三幕目の望月輝と弁天お照の色模様に、清元の名曲「雁金」をあしらう。
   雁金を 結びし幮も昨日今日 残る暑さを忘れてし 肌につめたき風立ちて 昼も音を鳴く蟋蟀に 哀れを添える秋の末・・・・・
   曲中に、ちりばめられた虫の音が、たっぷりと秋の情趣を添えている。ちなみに、望月輝は九世市川団十郎、弁天お照は八世岩井半四郎の配役であった。
  
    観音の明かりを外れ虫を売る  大堀柊花

  虫(むし)島鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)望月輝(もちづきあきら)
  幮(かや)蟋蟀(こおろぎ)葎(むぐら) 
初秋や声の鋭き鳥来る
素つ首を狙ふごとくに稲光
新涼や揺れ交はすもの高からず
遠山にまねび弓なり豇豆かな
文月や文筥に秘めしものいくつ
よそ者に愛想なくて花煙草
おづおづと来て真っ二つ西瓜割
鬼灯ののっぺらぼうを揉みほぐす
三重の塔を遠目に落し水
棚経を遠く眠たく聞いてをり
人の世の逢瀬みじかき稲の花
  きり口に風の生まるる西瓜かな  大原 其戎             「俳諧歳時記」に、
    蔓性一年生の植物にして、茎は極めて長く伸長す。深緑色の大きな掌状葉をつけ、花は雌雄異花、黄色の小形にして雌花は長円形の花托を有し受精する時は次第に膨大して顆を生ず。形状に球形と楕円形の二つあり。肉は淡紅・深紅・黄色の別あり。
   とある。
    西瓜の起源地は、アフリカ中部とする説があるが、実はもっと南の南アフリカの主としてカラハリ砂漠とするのが正しい。栽培起源は古く、エジプトでは約4000年前に古代エジプト人が栽培していたと推定される絵画が残っている。
    日本でスイカの名が初見されるのは、南北朝末期の書かれた僧義堂周信の「空華日工集」で「和西瓜詩」と題した漢詩がある。
    初期は果肉が赤く、血肉に似ているために嫌われたが、元禄(一六八八~一七〇四)以降は普及した。果肉を取り除いた西瓜提灯は明治以降の風習とみられる。

    さて、能に[黒塚]がある。
    奥州の安達ヶ原で行き暮れた回国行脚中の熊野の那智の山伏祐慶の一行が、野中に一軒やを見つけて宿を乞う。作り物の中にいる家主の里女は、一旦は断るが、たっての願いに根負けして山伏たちを家に入れるていで、作り物を出す。家の中に見なれぬ糸繰り車を目にとめた祐慶が頼むと、女はそれを回して糸を繰りはじめ、渡世の業に身を苦しめる果報のつたなさを恨み、老いの訪れの早さを嘆く。やがて調子をかえて浮々と糸尽くしの歌を謡い、転じて長き命のつれなさをかこち、糸車を繰るのをやめて泣きくずれる。夜が更けて冷え込みも厳しくなる。と、女は上の山から薪を採って来るといい、行きさして振り返り、私の閨を決してのぞくなと念を押す。橋掛かりを行く女の後姿には、すでに鬼の気配がある。能力は祐慶の目を盗んで閨の内をのぞき、おびただしい人の死骸をみる。

    西瓜食む安達ヶ原の鬼女のごと  大堀 柊花

   西瓜(すゐくわ)空華日工集(くうげにつくしゅう)麦門冬(ばくもんとう)
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