俳句
カレンダー
06 | 2025/07 | 08 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
フリーエリア
最新TB
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
日傘
降りしきる松葉に日傘かざしけり 星野 立子
「俳諧歳時記」に
さしがさの一種にして、紙または絹にて張り、夏日日光を遮るために用ふる傘をい
ふ。これに彩色絵を描きたるものを絵日傘といふ。小児婦女子の用ゆるものなり。
田舎にては「日唐傘」といふ由。昔は日傘をさすは高貴の人に限っていた。
とある。
傘は頭髪にかぶる笠にたいして、手に持つ「かさ」を傘あるいは差し傘という。
我が国では、古くは貴族たちや僧侶たちの間で日除け傘として使用されたが、鎌倉
時代中期になると雨傘として用いられるようになった。さらに江戸時代中期に、子供
用の日傘が登場すると、これが大人の間にも利用されるに至った。傘は元来、外来
文化の舶載品であり、我が国に初めてもたらされたのは欽明天皇の時代に、百済の
聖明王から贈られたものである。これは蓋といわれ傘の周りに裂を張り巡らせて房を
をつけ、長い柄の長柄傘として、儀式や外出のおりに天皇をはじめ公家たちの頭上に
従臣が差しかけて用いた。長柄傘は鎌倉時代に仏教文化が盛んになると、僧侶の間で
紙張りをした朱塗傘が用いられ、江戸時代には大名の参勤交代あるいは登城など、供
揃えのときに爪折傘として用いられた。民間では特殊な社会、つまり廓で太夫が道中
をする際に、定紋をつけた長柄傘を用いた。、
さて、歌舞伎舞踊に「屋敷娘」がある。本名題は「四季詠丸にい歳」(天保十初)
常磐津・長唄の掛合いだったが、今は 双方とも残っている。
武家屋敷に行儀作法を見習いに上がっている娘の、宿下がりの風情を踊る。腰元の
姿なので、髪は紅白、丈長付きの文金高島田、御殿模様の着付けに織物の帯。「千草も
野辺の通い路に」から花道の出。日傘を差し、金銀の姫扇を使っての振である。
人避けてゐるかのごとく日傘ゆく 大堀 柊花
蓋(きぬがさ)裂(きれ)四季詠丸にい歳(しきのながめまるにいのとし)
PR
この記事にコメントする