忍者ブログ
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
[12/09 NONAME]
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(09/03)
(09/03)
(09/25)
(09/25)
(10/31)
[10]  [9]  [8]  [7]  [6]  [5]  [4]  [3]  [2]  [1
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

  奥能登は七浦かけて秋祭  升谷一灯

   「ホトトギス新歳時記」に、
   秋季に行われる神社の祭礼をいう。春祭が農事の開始時に農作を祈って行われるのに対して、秋祭は秋の収穫期に新穀の豊穣を神に感謝する意味で行うものである。こうしたことから秋祭は田舎にその本来の姿が見られる。里祭、浦祭、村祭、在祭、などとも呼ばれる。
  とある。
   秋祭は秋の収穫感謝祭。秋という言葉は飽食の祭からきているという。春からの農耕を助け稲田を守ってくれた田の神に収穫を感謝し、新穀でつくった神饌、新酒でもてなすのが秋祭である。今日の勤労感謝の日のもとになった新嘗祭は、収穫祭であると同時に、翌年の種子たる稲の霊を誕生させる儀式であった。
   南北に長い日本列島のこととて刈上祭の時期はまちまちで、東北地方では、三九日といって、旧暦九月、関東、中部地方では、旧暦十月十日を十日夜とよんで収穫祭を行う。子供たちが新藁で藁鉄砲をつくって地面をたたいて回る。似たような行事を近畿、中国、四国地方では亥の子節供とよんで、「亥の子突きの石」で地面をたたいて回る。有名な「奥能登のあえのこと」は、民間の新嘗祭として知られ、重要無形民俗文化財に指定されている。「あえ」は嘗で、饗応することである。

   さて、「祭囃子」は祭礼囃子ともいい、神輿が御旅所に渡御するいわゆる神幸祭に、付祭と称して氏子たちが出す山車、踊屋台などの運行に、山車上であるいは徒歩で奏する奏楽をいう。
   祭礼が華々しく催されるようになったのは平安中期からで、まだ山車もなく、太鼓と鉦鼓を棒で担いで囃して歩いた。このころはむしろ田楽の躍囃子のほうが主流であった。山車の類が永続的に出るようになるのは室町初期の祇園祭からと思われる。
   関東は天下祭と呼ばれた山王祭、神田祭のいわゆる江戸祭囃子(神田囃子)が普及している。大太鼓、締太鼓、篠笛、当り鉦からなり、粋で技巧的な曲が目立つ。

    町よりもやしろ古びて秋祭  大堀柊花
  飽食(あきぐひ)神饌(しんせん)新嘗祭(にいなめさい)十日夜(とうかんや)
  嘗(あえ)鉦鼓(しょうこ)躍囃子(おどりばやし)当り鉦(あたりがね)
  刈上祭(かりあげまつり)付祭(つけまつり)山車(だし)    
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
無題
いつも楽しく拝読させていただいております。秋刀魚の句はちょっと 火炙りは処刑のこと かわいそうな気がします。蝦夷の人から抗議が来そうです。
NONAME 2011/12/09(Fri)16:40:37 編集
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
<< 松涛界隈 | HOME | 両国界隈 >>
Copyright(C) No Name Ninja All Rights Reserved.  | 忍者ブログ * [PR]
 |  blogdesigned by 物見遊山