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     灯の声をたのしむ冬の安居かな  吉田 冬葉

   「俳諧歳時記」に、
    仏教徒が冬、期間を定めて静居修道するのをいふので、夏安居に対して冬安居といふ。然し臨済宗を始め一般では雪安居と呼ばれてゐる。冬安居は露領中央アジアで行はれたもので、期間は十二月十六日から三月十五日迄であるが、我国では現在
   主として禅宗の大寺院で行はれる。座禅を行ひ、仏書の研究・講義をなすものである。
   とある。
    安居は仏教の出家修行者たちが雨期に一か所に滞在し、外出を禁じて集団の修行
   生活を送ること。サンスクリット語バルシャーバーサの訳。雨安居、夏安居ともいう。インドの雨期はだいたい四か月ほどであるが、そのうち三か月間、修行者は遊行をやめて精舎や洞窟にこもって修行に専念したのである。この期間は雨が激しくて徒歩旅行に適さず、また草木虫類を傷つけるので、釈迦は雨期の止住を規定した。これが安居の始まりである。中国では、所によっては降雪のため真冬の旅行も不適
   であったので、冬季にも安居する慣習が生まれた。

    さて、安居といえば、森鴎外に「山椒大夫」(大正四)がある。
    陸奥掾正氏の妻とその二人の子、安寿と厨子王、それに乳母姥竹は筑紫に行って帰らぬ正氏を尋ねて、岩代の信夫郡から旅に出たが、直江の浦で人買いにあざむかれ、母と乳母は佐渡へ、幼い姉弟は丹後の由良の港の山椒大夫に売り渡された。
    翌年の春、安寿は弟を逃がして都へ上らせ、自分は沼に投身自殺する。
    厨子王は僧形となって都へ上り、関白師実に見出され、のち、丹後の国守となり、丹後一国の人の売買を禁じた。のち佐渡に渡り母のありかを尋ねた。そして、ぼろを着ためくら女が竿をもって雀を追いながら、「安寿恋しや、ほうやれほ、厨子王恋しや、ほうやれほ、」と歌っているのを聞いた。

     山の日は慈愛のごとし冬安居  大堀 柊花

    夏安居(げあんご)雪安居(せつあんご)山椒太夫(さんしょうだゆう)
    陸奥掾正氏(むつのじょうまさうじ)岩代(いわしろ)信夫(しのぶ)
    姥竹(うばたけ)師実(もろざね)
       
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