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   住み古りし家の小暗さ初鏡  高濱年尾

   「ホトトギス新歳時記」に、
   新年になって、初めて鏡に向かうこと。またその鏡をいう。必ずしも女に限らず、男が新年の自分の姿を鏡に映すことも初鏡といってよいであろう。初化粧。
  とある。
   鏡は、中国や日本の古代においては、単なる化粧用具としてだけでなく、呪術的な霊力を備えたものとして重要視され、祭器や首長の権力の象徴とされた。
   西洋における鏡の起源は正確には明らかでないが、金属器時代の初めにオリエント地域で製作が始められたと思われる。東洋の鏡は中国鏡を主流とし、日本・朝鮮など周辺地域の製品を傍流とする。本列島に銅鏡が登場するのは弥生時代以降である。
   鏡は今日のようにガラスが発明利用されるまでは金属製のものであった。しかも鏡は貴重品で、庶民には簡単に手に入らぬものであり、鏡研師がいて鏡のくもりを研いだものであった。三種の神器の一つに鏡が入っているように、鏡は多くの神社の御神体とされている。鏡が一般の人々に使用される以前には、水鏡といって水面に姿を映
してそれを見たのである。伝説に鏡池とあるのはこの水鏡のことを語ったものである。

   さて、常磐津の舞踊劇に「京人形」(三世桜田治助作 五世岸沢式佐作曲 弘化四)がある。 
   彫物師の左甚五郎は京の廓で見た小車太夫のことが忘れられず、太夫に生き写しの人形を彫りあげた。そして女房に酒の用意をさせて、人形相手に一人酒盛りを始めたところ、人形が動き出した。甚五郎は喜ぶが、その動きは粗く男っぽい。甚五郎の男の魂が入ってしまったからである。甚五郎は廓の中で小車太夫が落とした鏡を拾って持っていることに気づき、取り出して人形の懐に入れると人形は太夫の魂になり、太夫そっくりに廓話をし、甚五郎とともに連れ舞いを踊り出す。
   名工左甚五郎の逸話を仕組んだ作で、黙阿弥の「拙腕左彫物」が下敷きになっている。

   諸肌をぬいで楽屋の初鏡  大堀柊花

   拙腕左彫物(およばぬうでひだりのほりもの) 
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