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   それとなく話はづして春炬燵  星野立子

   「俳諧歳時記」に、
   春になっても寒さはなかなか去らない。二月・三月の大半は寒い日がちである。そのため春になっても炬燵の間は繁盛する。置炬燵も仕舞はれない。庭の有様など何時となく粛寂の気分から放れてゐるやうにも眺められるが、家の内ではまだ炬燵が必要である。さういふのが春の炬燵である。
  とある。
   こたつの起源は明らかではないが、室町時代にいろりに櫓をかけてこたつにしたのが始まりで、「こたつ」の語は「火榻子」の宋音に基づくとされている。当時の櫓は低いもので、現在の櫓の高さになったのは江戸時代からである。高い櫓のこたつは、とくに高ごたつなどといわれ、置きごたつの一種である。なお、こたつは家庭燃料の乏しい都市から普及していった。

   さて、俳話に「春の炬燵」(松本たかし ホトトギス 昭和九)がある。
   少し雑談をさせていただきたいと思ふ。中途半端ではあるが、私は能役者の修業をしたことがあるのでそんなところから話を始めてゆかうかと考ふ。勿論、能楽と俳諧とは種類の異なる芸術だから¦一方は殆ど感覚的な表現を専らとするものであり、他方は多かれ少なかれ生活感情に基づく構成をとるものである以上、強いてこの両者に関連をもたせやうとすると、こぢつけがましい可笑しなことになるに相違ない。併しまんざら無縁のものと言捨ててしまふほどでもあるまい。能がその一挙手一投足に対して厳格な規約の下にあり、これは全く縛られてゐると云ってもいい¦俳句が季題を約束し、五七五、十七音といふ定型を固守し、そして両者とも長い伝統を持ち、飽くまでも東洋的な土壌に芽生へ、発足して来た点など、一脈共通した芸能の上にあるとも考へられなくはない。併し何にせよ能は能、俳句は俳句である。(略)
   能と俳句の共通点を挙げ、しかし、なかなか本音は吐けず、真物は出かしにくい、と結んである。

   零落の身を横たへて春炬燵  大堀 柊花

  火榻子(かとうし)宋音(そうおん)考ふ(おもう)真物(ほんもの)
   
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