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鬼灯の花や高みにほつほつと
宝前を簀の子で仕切り鬼灯市
呼び込みの前にうしろに鬼灯市
鬼灯を売る浅草の青浄土
間に合はず四万六千日詣
鬼灯市ぬけて六区の芝居見に
てっぺんに金糸卵を散らし鮓
石膏の裸婦の出迎へ夏館
行商の笛とぎれがち日の盛り
寝茣蓙へも夜氣の湿りのいつしかに
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   鮓

    鮓おしてしばし淋しきこころかな  蕪村

    「ホトトギス新歳時記」に、
    鮓には圧鮓、握鮓などのほか種類が多い。鮓を夏の季題とするのは、漬込鮓がもっとも早く熟れる季節ということであろう。鮓は古くは魚肉の保存法であって、酸味を帯びた魚だけを食べたが、のちに米も一緒に食べる飯鮓が一般になった。早圧鮓、早鮓は一夜鮓といって速成に作ったもの、鮓圧す、鮓漬る、鮓熟る、鮓の石、鮓桶などは圧鮓の場合に使う物やその言葉である。鮨。鮎鮓。鯖鮓。鮒鮓。五目鮓。ちらしずし。鮓の宿。
   とある。
    中国の鮓・鮨の類は二千年以前からあり、しだいに飯を加えて漬け込むようになったが、こうした「なれずし」の保存法は東南アジアの米作民にかなり広く行われている。日本への伝来もおそらく米と同時で、かなり早い時期であったと思われる。
    古い伝統をもつ「なれずし」は各地に残っている。釣瓶ずしは大和下市(奈良県
吉野町)の名産で、吉野川でとれた鮎を釣瓶型の曲物に入れてつくる。歌舞伎「義




経千本桜」にも登場し、平惟盛が鮓屋の手代弥助の仮名で潜んだという筋書きから、いまでも鮓の異名を「弥助」という所がある。

    さて、歌舞伎「義経千本桜」(武田出雲 三好松洛 並木千柳合作 延享四初)に「すし屋」がある。
    「すし屋」の惣領息子いがみの権太は勘当の身ながら親父の留守の家に来て、母親から金をせびりとる。そこへ首を抱えた弥左衛門が戻ってくる。あわてた権太は空の鮓桶に金を隠して奥へ忍んだ。弥左衛門も別の鮓桶に首を隠した。娘のお里は惟盛と知らずに弥助に恋し、すでに深い仲。親も祝言させると言い、浮き浮きしている。そこへ若葉内侍親子が宿を求めて逃げこんで来た。お里は高貴の人に及ばぬ恋をしてしまった身を嘆くが惟盛らを隣村へ逃がす。

    紅しやうが花と散らして鮓の桶  大堀 柊花

   鮓(すし)鮨(すし)圧鮓(おしずし)握鮓(にぎりずし)熟れる(なれる)
   早圧(はやおし)漬る(つくる)熟る(なる)釣瓶(つるべ)
   大和下市(やまとしもいち)曲物(まげもの)権太(ごんた)

人立てば雲隠れして田の金魚
金魚にも遊び心や浮き沈み
頭でっかち金魚にもありしかな
ときをりはでんぐり返りして金魚
オランダてふ賢さうなる金魚浮く
値踏みなどなき江戸錦てふ金魚
金魚田の番犬として老いけらし
まぼろしの蝶を舞はせて著莪の花 
帰る山なくて鳴きけり夏鶯
軋むたび思考とぎれて籐寝椅子
 老鶯

    老鶯や珠のごとくに一湖あり  富安 風生

   「栞草」に、
   老鶯とはもとより漢家の詩に出て、或は狂鶯とも乱鶯とも、すべて暮春の物なれども、残鶯は勿論にて、老鶯も夏の名となさば鶯に老の感情ありて、風雅は例のさびしみといはん。
  とある。
   また「俳諧歳時記」に、
   鶯は二三月より鳴き始め、夏に至ればその声次第に生気に乏しくなり来る、これを老いたりとなし、老鶯といふ。古き書に、老鶯とはもと漢家の詩に出で、或は狂鶯とも乱鶯ともすとあれど、こは鶯を春のものとして時期外れの意ならん、声は夏季に入りたりとも鶯は声の狂ひ乱るるものにあらず。春よりは生気乏しくなれど、調子は寧ろ流暢となるものなり。されど鶯の附子とて、その声を学ばしむるも仲夏よりとす。
  とある。
   鶯は、鳥鋼スズメ目ヒタキ科ウグイス亜科の鳥。梅の花が咲くころ人里近くで鳴き始めることから、春告鳥ともよばれている。秋から春にかけては平地や低い山で過ごし、笹鳴きをしながらやぶを伝っていくので、この頃の鶯を藪鶯ということがある。

   さて、随筆に「夏鶯」(長谷川時雨)がある。
   おやおや、もう時候は青くなるといふのにー初夏鶯のおとづれだと笑ひはしたが、よく来てくれたと思った。去年の秋の暴風雨で崖くづれや大樹の倒れたのが多かったので、鶯の宿も失はれでもしたのかと、日々忘失の、気ぜはしいながらも、時をり気にしてゐたのだが、今日になって訪れて来やうとは思ひがけないのであった。二三年前まではまだ片言のやうな、ケキョ、ケキョであったこの藪鶯も、今年はなかなか老成してきて、御無沙汰を申しわけないやうに、終日家の廻りで惜しみなくゆく春をうたってゐる。鶯の顔見知りといふとをかしいが、見だてのない、むくむくした黒っぽい、まだ鳴かない時分から、縁のきはまで水を飲みに来た馴染なので、鶯の方でも覚えてでもゐるのであらう。

   老鶯や彦の山なる稚児落し  大堀 柊花
  
 老鶯(おいうぐひす)漢家(かんか)出て(いでて)初夏(なつ)附子(つけこ)
東西の橋をあつめて川涼し
水門にうしほのにほひ夏浅し
藤棚の紫といふやすらぎに
藤波の濃きところより風生まれ
おのづから藤散る蜂も来て散らす
葉桜の風をまともに小名木川
大海月小海月花のごと水路
海月浮く己が紋様損なはず
初幟はためく佃舟だまり
橡咲いて霞が関の昼餉どき
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