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 夾竹桃陋巷の夏はじまりぬ  大橋櫻坡子

   「俳諧歳時記」に、
   高さ丈余に及ぶ常緑潅木、性極めて日光を好む植物にて、日当りよき場所を選びて植うる時は夏期香ある花を開く、葉は形桃の葉に似たれども堅く厚く、表濃緑、裏は淡緑色、三葉づつ輪生するを常とす。花は石楠花に似たる紅色二重弁のものを、盛夏梢上に聚り開きて花期長し、時に黄白、或は八重咲きのものもあり。
  とある。
   夾竹桃はキョウチクトウ科の常緑大低木。中国名の夾竹桃は、葉が竹の葉のように狭く、花がモモの花に似ている意味で、和名はその中国名に基づく。インド原産で日本へは江戸時代中期に入る。
   インドでは紀元前より薬用に使われ、古代インド医学の原典「チャラカ本集」には、水浸液を内服して皮膚病、中毒症、創傷の治療に用いると記される。仏典には、サンスクリット名の如羅毘羅樹の名で載り、謀反人にその花輪をかぶせたとある。日本では「本草薬名備考」(一七六六)に初めて夾竹桃の名があがる。


   さて、随筆に「夾竹桃の家の女」(中島敦)がある。
   夾竹桃が紅い花を簇らせてゐる家の前まで来た時、私の疲れは耐へ難いものになって来た。家の前に一尺余りの高さに築いた六畳ほどの大石畳がある。それが此の家の先祖代々の墓なのだが、その横を通って、薄暗い家の中を覗き込むと、誰もゐない。太い丸竹を並べた床の上に、白い猫が一匹ねそべってゐるだけである。猫は眼をさまして此方を見たが、一寸咎めるやうに鼻の上を顰めたきりで、又目を細くして寝てしまった。島民の家故、別に遠慮することもないので、勝手に上がり端に腰かけて休むことにした。夾竹桃が三四本、一杯に花をつけてゐる。墓の石畳の上にも点々と桃色の花が落ちてゐた。風は依然として無い。空気が重くドロリと液体化して、生温い糊のやうにねばねばと皮膚にまとひつく。煙草を一本吸ひ終って殻を捨てた拍子に、一寸後ろを向いて家の中を見ると、驚いた。人がゐる。一人の女が。

   空港へまっしぐらなり夾竹桃  大堀 柊花

  夾竹桃(けふちくたう)聚り(あつまり)如羅毘羅樹(からびらじゅ)
  本草薬名備考(ほんぞうやくみょうびこう)簇らせ(むらがらせ)顰め(しかめ)

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江東の茂りはつねに水に沿ひ
枇杷熟れて昔も今も水の町
緑蔭や水車は音を忍ばせて
八橋に雀遊べる花菖蒲
あぢさゐの毬の愁ひを水鏡
木の花の紅のしたたり太宰の忌
乱心は人のみならず夏の蝶
立ち寄れば父のやうなる大夏木
地獄への道かも知れず蟻の列
梅雨晴や眩しきものに森と水
 蟻

    蟻の道まことしやかに曲りたる  阿波野青畝
 
   「俳諧歳時記」に、
   夏盛んに出でて食を貯へ、冬は蟄居せる小昆虫。小なるは一二分、大なるは七八分、黒きあり、赤きあり、朽木又は土中に巣を営みて群棲す。雌雄は生殖に際し、二対の翅を生じて飛び、空中に交尾す。
  とある。
   また「和漢三才図会」に、
   蟻は君臣の義をもっている。それで字は義と書く。大小、黒・白。黄・赤の数種あって、穴居して卵生する。その居所には階級による差があり、行くときは隊列をつくる。よく雨を予知する。春に出てきて冬蟄する。そのときは土を塞いで封をする。これを蟻封という。
  とある。
   身辺で社会的な生活を営むためか、アリには昆虫では珍しく、人間との類同性を説いた伝承が多い。その顕著な例は、アリが最初の人間になったというもので、北アメリカのインディアン、ポピ族では、最初の人間はアリであったと信じ、アパッチ族はナバホ族をアリ人間とよんでいる。
   アリは物事を予知して行動するとして、その動きを何かの前兆とみる風習も多い。日本ではアリが闘うと雨が降るといい、アイヌ族では大きな黒いアリが多くみられるのを凶年の前兆とする。

   さて、能に「蟻通」(世阿弥)がある。
   和歌の神のおわす住吉、玉津島への参詣の途上、紀貫之(ワキ)と従者(ワキツレ)は、和泉の国でにわかに日が暮れ、大雨が降り出し、乗馬も倒れて途方にくれる。そこへ老宮守(シテ)が左手に傘、右手に松明をかざして現われ、ワキ座の貫之と問答になる。老宮守は「蟻通明神の神域に馬を乗り入れたとがめであろう。貫之ならば和歌を詠じて神慮を慰めよ」とすすめる。貫之が「雨雲のたち重なりて暗き夜なれば ありとほしとも思ふべきかは」との歌を詠ずると、老宮守は貫之の詠歌の心に感じて明神が仮に姿を見せたものと告げ、鳥居の笠木に隠れるように姿を消す。

  十返舎一九もどきに蟻の道  大堀柊花
  蟻(あり)蟄(あなごもり)蟻封(ぎほう)蟻通(ありどおし)笠木(かさぎ)
山羊孕む動物園の若葉どき
ペンギンの愛の雄叫び夏に入る
猿山の猿のもめごと新樹光
羽抜鳥あゆむ養生中の芝
竹の子の頭突きのさまに出でしかな
飛石のくの字くの字に風薫る
夜は蕊をゆるめて眠り時計草
図書館の窓の卯の花腐しかな
遅れくるひとり麦笛吹いてをり
伽藍への磴を仰げば若楓
  時計草       

    時計草夜は眠るとは知らざりき  前内 木耳

   「俳諧歳時記」に、
   蔓性の多年草、巻鬚ありて他物に絡みて生ず、葉は常緑にて深く掌状に裂け、葉柄の基に托葉をもつ、夏の頃紅色に紫暈のある大形の美花を開く、形稍時計の盤面に似たるより名ある所、此花日中に開きて夜間は閉づ、花の後橙色の実を結ぶ。一名「ぼろんかづら」。
  とある。
   時計草はトケイソウ科の常緑つる草。夏から秋、径七~八センチの花を開く。花弁と萼片は淡紅色を帯び、副花冠は紫色が蛇の目状に入る。糸状の副花冠と花弁と萼片を時計の文字盤に見立てて名がついた。ブラジル、アルゼンチン原産で、享保八年(一七二三)にオランダから渡来したといわれる。耐寒性が強く関東地方以西では露地で越冬する。

   さて、随筆に「時計草」(澁澤龍彦)がある。
   十六世紀の末ごろ、初めて南米に渡ったスペインの伝道師たちも、夏の日を浴びて咲いている珍奇なトケイソウの花を見て、ミニアチュール的想像力をほしいままにしたのではないだろうか。彼らはこの花をパッションフラワー、すなわち「キリスト受難の花」と名づけたのである。
   スペインの伝道師たちにならって、ミニアチュ―ル的想像力をもってトケイソウの花を描写するとすれば、次のようになるであろう。
   「じっと眺めていると、トケイソウの裂けた葉は刑吏の槍に、のびた巻きひげは鞭に見えてきた。花の中心にそそり立つ子房の柱は十字架に、三本の花柱は、キリストの両手両足に打ちこんだ三本の釘にそっくりであった。五つの葯はキリストの五つの傷痕、雄蕊はかなづち、副冠は茨の冠、萼は円光、花の白い部分は純潔、そして青い部分は天国にほかならなかった。五枚の萼片と五枚の花弁とを合わせた花の周辺の十枚は、ペテロとユダをのぞく十人の使徒を思わせた」

   時計草雄しべと雌しべ交はらず  大堀 柊花

  時計草(とけいさう)萼片(がくへん)葯(やく)刑吏(けいり)

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