俳句
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初東風に渡り初めたる太鼓橋
筆塚へさし出て白き臥龍梅
射的屋に人まだ寄らず初天神
紅白の神籤を花と初天神
水仙の思案にあまる水鏡
青鷺のひと声放つ寒日和
大寒の塩まみれなるお犬さま
天神に棲みて早くもうかれ猫
血の滲むほどに打たれて寒稽古
若水にまるで匂ひのあるごとく
筆塚へさし出て白き臥龍梅
射的屋に人まだ寄らず初天神
紅白の神籤を花と初天神
水仙の思案にあまる水鏡
青鷺のひと声放つ寒日和
大寒の塩まみれなるお犬さま
天神に棲みて早くもうかれ猫
血の滲むほどに打たれて寒稽古
若水にまるで匂ひのあるごとく
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湯豆腐
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
「俳諧歳時記」に
豆腐を一寸角位に切ったものを鍋に入れて温まったものを「だし」を加へた醤油
汁につけて食うふのである。湯豆腐鍋といって楽焼で共蓋のついた土鍋がある。焜
炉の上に掛け得られる大きさで醤油汁の容器も鍋の中に浸して温められるやうな仕
掛けになったものである。鍋には板昆布をしいてだしを出す。醤油汁の中には味醂・
鰹節・葱などを細かく刻んだものを入れ七味唐辛子などを加えることもある。また
鍋の中には葱を入れたり菊菜などを入れて豆腐とともに温めて食ふところもある。
長崎湯豆腐といって豆腐や蔬菜の外に鯛の頭のやうなものを入れて温めて前のやう
な方法で食べるものもある。
とある。
豆腐は中国前漢の高祖の孫、准南王劉安が発明したという伝承があり、豆腐の異
称を「准南」ともいう。その原料として、黒豆、黄豆、白豆、泥豆、緑豆があげら
れている。しかし、実際は唐代に始まったとみられ、日本へは奈良時代に渡来した
が、主として貴族階級や僧侶たちの間で用いられ、一般に広まったのは室町時代以
降のようである。「庭訓往来」には、禅林の料理として豆腐羹、雪林菜がみえる。雪
林菜は「きらず」のことで雪花菜とも書かれた。豆腐のことを女房詞で「かべ」「お
かべ」「しらかべ」「しろ物」などとも言った。
さて、久保田万太郎の短編に「末枯」(大六)がある。
日本橋田所町の商家丁子屋の若旦那として早くから遊蕩の世界に身を投じた「鈴
むらさん」は、家督を継いでからは、わけても落語家や講釈師をひいきにした。
相場で失敗してからも意地を張り通したが、やがて店舗も失い、長年馴染んでき
た芸妓小よしとも別れてからは、酒びたりの生活に落ち、ただ一つ残った深川の
寮も売り、今は浅草の今戸に侘び住まいしながら、芸人仲間との交渉をせめても
の心やりにしていた。芸人たちの目まぐるしい栄枯は、やがて「鈴むらさん」自
身の運命にも通じていた。「末枯」は万太郎の出世作である。江戸伝来の気質を守
る下町の商人や職人の世界は万太郎がその中で人と成った世界であった。
湯豆腐の触れ合うて角そこなはず 大堀 柊花
湯豆腐やいのちのはてのうすあかり 久保田万太郎
「俳諧歳時記」に
豆腐を一寸角位に切ったものを鍋に入れて温まったものを「だし」を加へた醤油
汁につけて食うふのである。湯豆腐鍋といって楽焼で共蓋のついた土鍋がある。焜
炉の上に掛け得られる大きさで醤油汁の容器も鍋の中に浸して温められるやうな仕
掛けになったものである。鍋には板昆布をしいてだしを出す。醤油汁の中には味醂・
鰹節・葱などを細かく刻んだものを入れ七味唐辛子などを加えることもある。また
鍋の中には葱を入れたり菊菜などを入れて豆腐とともに温めて食ふところもある。
長崎湯豆腐といって豆腐や蔬菜の外に鯛の頭のやうなものを入れて温めて前のやう
な方法で食べるものもある。
とある。
豆腐は中国前漢の高祖の孫、准南王劉安が発明したという伝承があり、豆腐の異
称を「准南」ともいう。その原料として、黒豆、黄豆、白豆、泥豆、緑豆があげら
れている。しかし、実際は唐代に始まったとみられ、日本へは奈良時代に渡来した
が、主として貴族階級や僧侶たちの間で用いられ、一般に広まったのは室町時代以
降のようである。「庭訓往来」には、禅林の料理として豆腐羹、雪林菜がみえる。雪
林菜は「きらず」のことで雪花菜とも書かれた。豆腐のことを女房詞で「かべ」「お
かべ」「しらかべ」「しろ物」などとも言った。
さて、久保田万太郎の短編に「末枯」(大六)がある。
日本橋田所町の商家丁子屋の若旦那として早くから遊蕩の世界に身を投じた「鈴
むらさん」は、家督を継いでからは、わけても落語家や講釈師をひいきにした。
相場で失敗してからも意地を張り通したが、やがて店舗も失い、長年馴染んでき
た芸妓小よしとも別れてからは、酒びたりの生活に落ち、ただ一つ残った深川の
寮も売り、今は浅草の今戸に侘び住まいしながら、芸人仲間との交渉をせめても
の心やりにしていた。芸人たちの目まぐるしい栄枯は、やがて「鈴むらさん」自
身の運命にも通じていた。「末枯」は万太郎の出世作である。江戸伝来の気質を守
る下町の商人や職人の世界は万太郎がその中で人と成った世界であった。
湯豆腐の触れ合うて角そこなはず 大堀 柊花
冬柳吹かるる築地魚市場
日曜の波除け通り都鳥
美しく鮪捌いて鮪売る
手にのせて味見して買ふ神の留守
魚河岸に近き大寺親鸞忌
波除けのお歯黒獅子も留守の宮
冬の水音立てて吐く龍の口
魚河岸の大提灯も神無月
目貼して発禁本も眠らせる
酢茎売来ている京の河原町
日曜の波除け通り都鳥
美しく鮪捌いて鮪売る
手にのせて味見して買ふ神の留守
魚河岸に近き大寺親鸞忌
波除けのお歯黒獅子も留守の宮
冬の水音立てて吐く龍の口
魚河岸の大提灯も神無月
目貼して発禁本も眠らせる
酢茎売来ている京の河原町
酔うて寝むなでしこ咲ける石の上 芭蕉
「俳諧歳時記」に
山野に多き多年草、秋七草の内にて可憐の花を開くより鑑賞にも栽培さる。茎は高
さ二尺許に達し、葉は線状被針形にて尖り、対生す。夏秋の候、茎上に通常二箇づつ
の花を開く縁辺多く刻まれたる五片合弁のもの、普通は淡紅色なれど種々ありて美し。
栄雅抄に「花の姿美しく色々に咲けば、おさなき名子にたとへて撫子とす。また久し
ければ常夏と言へり。唐撫子は色々の品あり、大和撫子は紅梅色なり。」
とある。
ナデシコ属は北半球を中心に世界に三百種分布し、日本には四種分布する。夏から
秋にかけて花を開く河原撫子とその基本種蝦夷河原撫子は古くから親しまれ、秋の七
草の一つに数えられている。なお、かって河原撫子は中国原産の石竹が唐撫子と呼ば
れたのに対し、大和撫子と呼ばれた。
撫子の名は「出雲風土記」に初見する。「万葉集」では美の対象にされ、撫子の歌
二十六種中八種に愛しい女性の面影をかさねてある。また、常夏とも呼ばれ、「古今集」
に「塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹と我が寝るとこなつの花」などと詠まれて
いる。「源氏物語」では「常夏」を妻や愛人、「撫子」を幼児の象徴としてそれぞれ
使い分けして用いている。
さて、「源氏物語」(瀬戸内寂聴)の「常夏」より一部を紹介してみる。
お庭前に、いろいろとうるさい草花などは植えず、撫子だけを美しい色合いに取り
揃えています。唐撫子や大和撫子などとりどりに、たいそう可愛らしく垣根を作って
咲き乱れて、たそがれの薄闇の中に浮き立っているのが、何ともいえない美しい景色
です。花のもとに公達は皆立ち寄って、思うままに手折れないのを、物足りなく思い
ながら佇んでいます。
夕霧の中将は、こうした立派な方々の中でも、際立って優雅な美しいお姿です。
撫子や恋のはじめはやさしくて 大堀 柊花
常夏(とこなつ)お庭前(おにわさき)唐撫子(からなでしこ)
大和撫子(やまとなでしこ)
朝々に雀来る窓終戦忌
高層の鉄扉ひらきて魂迎へ
潮風をまともに島の施餓鬼棚
流灯の川より仰ぐタワーの灯
堂縁に子どもの遊ぶ地蔵盆
慎みを忘れて弾け鳳仙花
朝顔の棚の下なる小鳥籠
新涼や稽古扇を新しく
悪役の滅法よくて夏芝居
南北の世をまざまざと夏芝居
高層の鉄扉ひらきて魂迎へ
潮風をまともに島の施餓鬼棚
流灯の川より仰ぐタワーの灯
堂縁に子どもの遊ぶ地蔵盆
慎みを忘れて弾け鳳仙花
朝顔の棚の下なる小鳥籠
新涼や稽古扇を新しく
悪役の滅法よくて夏芝居
南北の世をまざまざと夏芝居