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湯豆腐

   湯豆腐やいのちのはてのうすあかり  久保田万太郎

   「俳諧歳時記」に
    豆腐を一寸角位に切ったものを鍋に入れて温まったものを「だし」を加へた醤油
   汁につけて食うふのである。湯豆腐鍋といって楽焼で共蓋のついた土鍋がある。焜
   炉の上に掛け得られる大きさで醤油汁の容器も鍋の中に浸して温められるやうな仕
   掛けになったものである。鍋には板昆布をしいてだしを出す。醤油汁の中には味醂・
   鰹節・葱などを細かく刻んだものを入れ七味唐辛子などを加えることもある。また
   鍋の中には葱を入れたり菊菜などを入れて豆腐とともに温めて食ふところもある。
   長崎湯豆腐といって豆腐や蔬菜の外に鯛の頭のやうなものを入れて温めて前のやう
   な方法で食べるものもある。
   とある。
    豆腐は中国前漢の高祖の孫、准南王劉安が発明したという伝承があり、豆腐の異
   称を「准南」ともいう。その原料として、黒豆、黄豆、白豆、泥豆、緑豆があげら
   れている。しかし、実際は唐代に始まったとみられ、日本へは奈良時代に渡来した
   が、主として貴族階級や僧侶たちの間で用いられ、一般に広まったのは室町時代以
   降のようである。「庭訓往来」には、禅林の料理として豆腐羹、雪林菜がみえる。雪
   林菜は「きらず」のことで雪花菜とも書かれた。豆腐のことを女房詞で「かべ」「お
   かべ」「しらかべ」「しろ物」などとも言った。

    さて、久保田万太郎の短編に「末枯」(大六)がある。
    日本橋田所町の商家丁子屋の若旦那として早くから遊蕩の世界に身を投じた「鈴
    むらさん」は、家督を継いでからは、わけても落語家や講釈師をひいきにした。
    相場で失敗してからも意地を張り通したが、やがて店舗も失い、長年馴染んでき
    た芸妓小よしとも別れてからは、酒びたりの生活に落ち、ただ一つ残った深川の
    寮も売り、今は浅草の今戸に侘び住まいしながら、芸人仲間との交渉をせめても
    の心やりにしていた。芸人たちの目まぐるしい栄枯は、やがて「鈴むらさん」自
    身の運命にも通じていた。「末枯」は万太郎の出世作である。江戸伝来の気質を守
    る下町の商人や職人の世界は万太郎がその中で人と成った世界であった。

     湯豆腐の触れ合うて角そこなはず   大堀 柊花

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