忍者ブログ
カレンダー
06 2025/07 08
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31
フリーエリア
最新CM
[12/09 NONAME]
最新記事
最新TB
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
最古記事
(09/03)
(09/03)
(09/25)
(09/25)
(10/31)
[158]  [157]  [156]  [155]  [154]  [153]  [152]  [151]  [150]  [149]  [148
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。




   雛飾りつつふと命惜しきかな   星野立子

   「俳諧歳時記」に
   五節句の一つである三月三日の節句に、雛人形に種々の調度を添へて飾る遊びであ
  る。上代には雛祭はなかった。雛は昔支那で、上巳の祓ひに用いた形代などから始ま
  ったものである。日本では天児或いは這子といふ人形ようのものを、子供の三つにな
  るまで祓いに用ひ、これに万の凶事を托して祈ったこと等から転化して、藤原時代に
  は宮中で雛あそびをされたことが源氏物語・紫式部日記・枕草子等にも見えてゐる。
   後三月上巳の節句を雛遊びの期と定めるようになり、室町時代以来、三月三日諸臣
  参賀して祝ふやうになった。
  とある。
   雛人形主体の節句習俗の歴史は案外に新しい。江戸時代初頭に宮廷や幕府で三月
  節句に雛人形にかかわる行事があった記録が現れ、やがて寛文年間以降にようやく
  雛祭の形が定着したものとみられる。以後の雛祭は工芸品としての雛人形の生成発達
  と関連してしだいに華美になり、また都市から農村へと波及していった。
   江戸時代初期の雛飾りは平壇・立ち雛の形が主だったらしいが、やがて精巧な土焼
  きの衣装人形の出現で華麗になり、重ね壇に内裏雛以下、官女、大臣、五人囃子、仕
  丁、雛道具を並べるという形式が固定していき、新生の女児に雛人形を贈る風習も広
  まった。

   さて、歌舞伎舞踊の舞台機構の一つに「雛段」がある。地方の坐る舞台上の台で、
  二段以上のものをいう。緋毛氈をかけてあり、雛人形を飾る壇に見立てた名称で、
  主に上に長唄連中、下に囃子方が坐る。舞台後方正面に位置するのが原則で、演奏者
  は作品によって色、模様、紋が異なる肩衣を着用することもあり、背景の一部ともな
  る。前方下壇は四寸高またな尺高(一尺)、後方上段は高足(二尺八寸)の高さである。
  まれに作品によって、背景と調和した色布を用いることもある。例えば松羽目物や
  「鏡獅子」「娘道成寺」などの正面出囃子の場合に使用される。

   撫で肩にふるる瓔珞享保雛   大堀柊花

  天児(あまかつ)
PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
Copyright(C) No Name Ninja All Rights Reserved.  | 忍者ブログ * [PR]
 |  blogdesigned by 物見遊山