俳句
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椋鳥
椋鳥や分れて戻る二羽三羽 鈴木 花蓑
「俳諧歳時記」に、
鳴禽類に属する鳥。椋の実の熟するころ群れ来り、又黒く熟したる椋の実を好んで食するより其名あり。形小鳩ぐらゐ、尾はやや短く、嘴は真直にて尖り、脚は強壮にして地上を軽快に歩行す。羽毛は一般に灰黒色にて多少白味を帯ぶ。頭上に白羽を混ず。白頭翁と呼ぶ異名は之より起る。大樹の洞穴などに巣を営み、好んで群れをなして往来す。
とある。
広義には鳥鋼スズメ目ムクドリ科に属する鳥の総称で、狭義にはそのうちの一種をさす。全長約二四センチ。背面は黒褐色、下面は淡色、顔には不規則な白斑があるが、橙黄色の嘴と腰の白色が、短い尾とともに顕著な特徴となっている。日本、樺太、アムール地方、モンゴル、中国北部、朝鮮半島などで繁殖し、冬季は中国南部にまで至るものもある。日本では南千島、北海道、本州、四国、九州で繁殖し、大部分は留鳥である。非繁殖期には大群をなす。ことに数千羽、一万羽を数える集団ねぐらをみることもまれでない。日没、夕日を背にねぐらに集る大集団は実にみごとである。
さて、随筆に「柿と椋鳥」(立原正秋)がある。
曉方、仕事を終えて床につこうとする頃に野鳥が庭にやってくる。柿を最初に啄みだしたのは椋鳥だった。ずいぶん以前から椋鳥は見なれているが、曉方の椋鳥ははじめてであった。彼女達はむれをなして飛来してくるのだが、曉方の彼女達は、いずこからともなく中空を飛んできて、そこで二羽三羽という風に散って行く。めいめい別行動をとるのである。この柿の木に飛んできたのは三羽だった。一羽は山桜の枝、一羽はもみじの枝に、一羽は楢の枝にとまり、まず山桜の一羽が枝をはなれ柿の木にとんで行った。そして柿を啄んでいるうち、もみじの一羽が柿の枝にとびうつり、山桜の方は柿をはなれ、やがて楢の方が柿にうつり、同時にもみじの方が空に舞いあがり、やがて三羽そろって再び中空に飛び立った。おかしな連中だ、と私は呟いた。
落陽の朱に染まりて椋の群 大堀 柊花
椋鳥(むくどり)橙黄(とうこう)楢(なら)
椋鳥や分れて戻る二羽三羽 鈴木 花蓑
「俳諧歳時記」に、
鳴禽類に属する鳥。椋の実の熟するころ群れ来り、又黒く熟したる椋の実を好んで食するより其名あり。形小鳩ぐらゐ、尾はやや短く、嘴は真直にて尖り、脚は強壮にして地上を軽快に歩行す。羽毛は一般に灰黒色にて多少白味を帯ぶ。頭上に白羽を混ず。白頭翁と呼ぶ異名は之より起る。大樹の洞穴などに巣を営み、好んで群れをなして往来す。
とある。
広義には鳥鋼スズメ目ムクドリ科に属する鳥の総称で、狭義にはそのうちの一種をさす。全長約二四センチ。背面は黒褐色、下面は淡色、顔には不規則な白斑があるが、橙黄色の嘴と腰の白色が、短い尾とともに顕著な特徴となっている。日本、樺太、アムール地方、モンゴル、中国北部、朝鮮半島などで繁殖し、冬季は中国南部にまで至るものもある。日本では南千島、北海道、本州、四国、九州で繁殖し、大部分は留鳥である。非繁殖期には大群をなす。ことに数千羽、一万羽を数える集団ねぐらをみることもまれでない。日没、夕日を背にねぐらに集る大集団は実にみごとである。
さて、随筆に「柿と椋鳥」(立原正秋)がある。
曉方、仕事を終えて床につこうとする頃に野鳥が庭にやってくる。柿を最初に啄みだしたのは椋鳥だった。ずいぶん以前から椋鳥は見なれているが、曉方の椋鳥ははじめてであった。彼女達はむれをなして飛来してくるのだが、曉方の彼女達は、いずこからともなく中空を飛んできて、そこで二羽三羽という風に散って行く。めいめい別行動をとるのである。この柿の木に飛んできたのは三羽だった。一羽は山桜の枝、一羽はもみじの枝に、一羽は楢の枝にとまり、まず山桜の一羽が枝をはなれ柿の木にとんで行った。そして柿を啄んでいるうち、もみじの一羽が柿の枝にとびうつり、山桜の方は柿をはなれ、やがて楢の方が柿にうつり、同時にもみじの方が空に舞いあがり、やがて三羽そろって再び中空に飛び立った。おかしな連中だ、と私は呟いた。
落陽の朱に染まりて椋の群 大堀 柊花
椋鳥(むくどり)橙黄(とうこう)楢(なら)
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仲秋の日のなほ高き百花苑
撓ひては人を誘ひをみなへし
葉隠れに香りを高く葛の花
ぼんぼりに触れては萩の走り咲き
トンネルの萩の洩れ日のかく暗き
ふたたびは逢ふことのなき萩の径
つるむこと忘れて秋のあめんぼう
秋蝶に誘はれゆきてもとの径
芳年の碑にほどけ初め花芒
捕れたての蝦夷の秋刀魚を火炙りに
撓ひては人を誘ひをみなへし
葉隠れに香りを高く葛の花
ぼんぼりに触れては萩の走り咲き
トンネルの萩の洩れ日のかく暗き
ふたたびは逢ふことのなき萩の径
つるむこと忘れて秋のあめんぼう
秋蝶に誘はれゆきてもとの径
芳年の碑にほどけ初め花芒
捕れたての蝦夷の秋刀魚を火炙りに
秋刀魚食ぶ卓袱台の脚落着かず 石倉啓補
「たべもの語源辞典」に、
秋刀魚は三馬とも書かれる。上方ではサイラという。江戸では明和(一七六四~七二)のころまではあま塩のサンマはあまり売られなかった。安永(一七七二~八一)になると「安くて長きはさんまなり」という壁書があるくらい流行してきた。下々の者が食べたのだが、寛政(一七八九~一八〇一)になると中流階層以上にも好む者が出てきた。「サンマがでるとアンマが引込む」といわれるほど健康に良いたべものとされるようになる。サンマの名は、体が狭長であるところからサマナ(狭真魚)の音便である、という説もある。
とある。
サンマは硬骨魚鋼ダツ目サンマ科に属する海水魚。関西地方ではサイラ、サヨリ、三重県ではカドという。太平洋の寒帯南部から亜熱帯にかけて分布し、日本近海では千島列島から沖縄諸島付近まで回遊する。
代表的な大衆魚であるが、いつごろから食用とされたかは不明である。「和漢三才図会」には、サイラの名で載り、魚中の下級品であると記されている。
さて、落語のおなじみに「目黒のさんま」がある。
ある大名が、家来を十二、三人連れて、秋の野駆けに中目黒へ出かけた。昼どきで腹がへったとき、百姓家で焼くサンマのにおいをかいで食べたくなり、百姓に分けてもらって「うまいうまい」と、五、六匹食べた。その後ときどきサンマの味を思い出しては食べたがっていたが、ある日親戚へよばれて、なにかお好みの料理をといわれ、サンマを注文した。親戚ではびっくりして、サンマの上等のを取り寄せ、むしてすっかり脂肪を抜いたのを出した。殿様食べてみたがうまくない。「これはなんじゃ」「ご注文のサンマでござります」「ふうん、いずれから取り寄せた」「日本橋魚河岸にござります」「あ、それでいかん。サンマは目黒にかぎる」
焼網に抜身のやうな秋刀魚かな 大堀柊花
秋刀魚(さんま)
川筋に芭蕉庵あり法師蝉
ゆきあひは星のみぞ知る文月かな
まつ暗な山がうしろに盆灯籠
おつまみの絹も木綿も新豆腐
夕風にいま生酔ひの酔芙蓉
水鉢の水のしづけさ初嵐
この世での逢瀬みじかし稲の花
今日も来る子連れの雀終戦忌
思ひ出すままに文書く秋思かな
丹波越えして拾ひたる虚栗
ゆきあひは星のみぞ知る文月かな
まつ暗な山がうしろに盆灯籠
おつまみの絹も木綿も新豆腐
夕風にいま生酔ひの酔芙蓉
水鉢の水のしづけさ初嵐
この世での逢瀬みじかし稲の花
今日も来る子連れの雀終戦忌
思ひ出すままに文書く秋思かな
丹波越えして拾ひたる虚栗
法師蝉
法師蝉疲るるばかり読みふけり 星野 立子
「ホトトギス新歳時記」に、
秋風とともに鳴きはじめる。名は鳴き声からきていて、地方によっていろいろに聞きとられているが、はじめ、ジュツジュツジュツといい、つぎに、オシーツクツクと何度もゆっくり繰り返し、最後に、ツクツクボーシと三回ぐらい鳴き、ジーと尾を引くように鳴きおさめる。「筑紫恋し」と鳴くという説もある。つくづくぼふし。法師蝉。
とある。また、
「和漢三才図会」に、
蟪蛄は思うに、蝉より小さくてほぼ円く、その頭は褐色で身および羽は浅青色。鳴き声は久豆久豆法師といっているように聞こえる。それでこう名づける。
とある。
ツクツクボウシは昆虫鋼半翅目同翅亜目セミ科に属する昆虫。体長三十ミリ内外の中形のセミで、体は細長い。胸背には、黒色の地に緑褐色の班紋がある。翅は透明。七~九月に出現するが八月後半に多く、北海道から九州にかけて分布する。オオシマゼミ、クロイワックック、イワサキゼミ、オガサワラゼミの近縁種が知られる。
さて、能の曲目に「放下僧」がある。
下野国の住人牧野小次郎(ツレ)は父の敵、利根の信俊を討つべく兄(シテ)の助勢を頼みに行く。兄は出家の身であるため一旦は断るが、小次郎の説得に折れて、結局協力することになり、兄弟は当時流行の放下と放下僧に身をやつして故郷を出立する。一方夢見の悪い信俊(ワキ)は瀬戸の三島明神に参詣の途中、二人の放下に会い、それとは知らずに二人との禅問答にうち興じる。家来(アイ)の失言でそれと気づいていた兄は、はやる弟を抑え、曲舞や鞨鼓・こきりこなどの芸づくしで相手を油断させ、隙に乗じて本懐を遂げる。放下の雑芸の面白さを中心にした曲である。
放下とは、近世・中世に行われた巷間芸能の一つで、僧形の者が多かったので放下僧とも呼んだ。
をちが鳴きそめこちらにも法師蝉 大堀 柊花
法師蝉(つくつくぼふし)法師蝉(ほふしぜみ)蟪蛄(くつくつぼうし)
放下僧(ほうかそう)下野国(しもつけのくに)曲舞(くせまい)鞨鼓(かっこ)
法師蝉疲るるばかり読みふけり 星野 立子
「ホトトギス新歳時記」に、
秋風とともに鳴きはじめる。名は鳴き声からきていて、地方によっていろいろに聞きとられているが、はじめ、ジュツジュツジュツといい、つぎに、オシーツクツクと何度もゆっくり繰り返し、最後に、ツクツクボーシと三回ぐらい鳴き、ジーと尾を引くように鳴きおさめる。「筑紫恋し」と鳴くという説もある。つくづくぼふし。法師蝉。
とある。また、
「和漢三才図会」に、
蟪蛄は思うに、蝉より小さくてほぼ円く、その頭は褐色で身および羽は浅青色。鳴き声は久豆久豆法師といっているように聞こえる。それでこう名づける。
とある。
ツクツクボウシは昆虫鋼半翅目同翅亜目セミ科に属する昆虫。体長三十ミリ内外の中形のセミで、体は細長い。胸背には、黒色の地に緑褐色の班紋がある。翅は透明。七~九月に出現するが八月後半に多く、北海道から九州にかけて分布する。オオシマゼミ、クロイワックック、イワサキゼミ、オガサワラゼミの近縁種が知られる。
さて、能の曲目に「放下僧」がある。
下野国の住人牧野小次郎(ツレ)は父の敵、利根の信俊を討つべく兄(シテ)の助勢を頼みに行く。兄は出家の身であるため一旦は断るが、小次郎の説得に折れて、結局協力することになり、兄弟は当時流行の放下と放下僧に身をやつして故郷を出立する。一方夢見の悪い信俊(ワキ)は瀬戸の三島明神に参詣の途中、二人の放下に会い、それとは知らずに二人との禅問答にうち興じる。家来(アイ)の失言でそれと気づいていた兄は、はやる弟を抑え、曲舞や鞨鼓・こきりこなどの芸づくしで相手を油断させ、隙に乗じて本懐を遂げる。放下の雑芸の面白さを中心にした曲である。
放下とは、近世・中世に行われた巷間芸能の一つで、僧形の者が多かったので放下僧とも呼んだ。
をちが鳴きそめこちらにも法師蝉 大堀 柊花
法師蝉(つくつくぼふし)法師蝉(ほふしぜみ)蟪蛄(くつくつぼうし)
放下僧(ほうかそう)下野国(しもつけのくに)曲舞(くせまい)鞨鼓(かっこ)