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 治聾酒の酔ふほどもなくさめにけり  村上 鬼城

   「俳諧歳時記」に、
   立春から五日目の戊の日を春の社日、春社といひ、この日に酒を飲むと聾が治るといふ言ひ伝へがあって、今でも農家などで、耳の遠い子供に酒を飲ませてゐるのをよく見受けることがある。その酒を治聾酒といふのであるが、酒は有合せのものでよく、別段治聾酒といふ特定の酒がある訳ではない。
  とある。
   社日は、春分・秋分に最も近い前後の戊の日。春の社日を春社、秋の社日を秋社という。たんに社日といえば春社のことで、秋社は秋の社日・後の社日といって区別する。社日は社の祭を営む日の意で、社とは中国で土地の守護神・ないしは部族の守護神・またはその祭祀をいった。
   中国から伝来した風習として、春の社日に酒を飲むと、聾がなおると伝えられ、これを治聾酒という。また、古く中国では、この日には必ず雨が降るといわれ、その雨を社翁といった。朝鮮では、上元の日に薬酒をのんで、耳がさとく、よい事をきくようにと祝う。これを耳明酒という。

   さて、落語に「棒屋」がある。
   どんな棒でもそろえてあるという棒屋、もしあつらえの棒がないときは、罰金を出すというので、町内の若い者が出かけて行く。びんぼうとか、泥棒とか、難題を吹っかけるが、いろいろ頓知をきかして出してくるので、いりもしないものを買わされてしまう。つんぼうを出してくれというと、金挺の柄にする、挺つんぼ、というカシの棒を出してくる。「金挺つんぼか、感心感心。じゃあ、このつんぼを五本もらって帰ろう」「つんぼはあまり仕入れませんので、それ一本きりしかございません」「ははあ、こんなものは売れが遠いので仕込まねえのか」「いいえ、耳が遠うございます」
  
   治聾酒をおもはずこぼす膝の上  大堀 柊花

  治聾酒(ぢろうしゅ)戊(つちのえ)社日(しゃにち)社翁(しゃおう)
  耳明酒(じめいしゅ)棒屋(ぼうや)金挺(かなてこ)
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橋ひとつふたつみつよつ初景色
独楽廻しわが身の運もまはりけり
さりとては小猿に甘き猿廻し
初場所や花道の出の大銀杏
華やぎは宵のうちこそ小正月
寒紅のほんのり残る薬指
室咲や鏡の前の女形
黒髪に乳房隠して雪女郎
甲高き三の糸より寒ざらへ
リベラルな暮らしに慣れて冬苺
   みちのくの雪深ければ雪女郎  山口青邨

   「俳諧歳時記」に、
   雪深い山国ではかういふ妖怪味たっぷりの俗説があり得るのである。信州立山の奥、
  みちのく、蝦夷の国などではよくこれに関した説話が伝へられてゐる。若い美しい男が杣小屋で雪女郎に殺されたといふ話、又ある男は雪女と一緒にひと冬暮らしたといふ話。毎日しんしんと降る雪の中に生活してゐるものにとっては、かういふことはかなりの真実性をもってゐる。或る杣人は吹雪に襲はれて呼吸がつけなくなって死んだ、或る男は雪の中に一週間埋もれてゐて夢中で救はれた。かういふことがロマンチックに色づけされて、炉辺の語り草となって代々伝へられて来たのである。
  とある。
   雪女は雪の夜に現れるという女性姿の妖怪。雪女郎、雪おんば、雪降り婆などともいう。雪の印象から、肌が白いとか白衣を着ているなどの伝承が多い。喜多川歌麿の描く錦絵の雪女は美女の姿であるが、それは文芸的な発展の結果であって、むしろ老女や産死者の姿を考えている場合が多い。雪の降り積む夜に出るというほか、正月元日に降りてきて最初の卯の日に帰るという伝承がある。これは年神の降臨伝承と一致する。雪女から赤子を抱いてくれと頼まれ、引き受けた人は大力を授かるとか、逆に殺されるなどの話があり、その点は産女の伝承と一致する。吹雪の夜に宿を求める娘があり、泊めてやって翌朝みると、白衣の中に黄金があったという話は、「大歳の客」の昔話とも共通する。
   雪女は、雪害の恐ろしさや、雪中に閉じ込められた冬の閉塞状態を背景としている。

   さて、能に「雪」(作者不詳)がある。
   諸国一見の旅僧(ワキ)が攝津の野田までやってくると、にわかの雪となる。晴れ間を待つうちに、雪を頂いた作り物の中から「あら面白の雪の中やな」と吟ずる声が聞こえ、美しい女性(シテ)が現れて迷いを晴らしてほしいと訴える。僧は雪の精に成仏を勧め、女は袖を翻して月の光りに美しく舞い、明け方の光りの中に消える。
   このシテは雪女ではなく、風に翻る雪そのものであるところに能の主張がある。

   あり余る髪を束ねて雪女郎  大堀柊花

  産女(うぶめ)大歳(おおとし)雪女郎(ゆきぢよらう) 
深川に昔のありて桜鍋
お座敷の欄間もさくら桜鍋
運ばるるまで庭を見て桜鍋
扁額は纏づくしや桜鍋
相方は憎からぬひと桜鍋
わざおぎの旧居のあとの冬芽かな
空想のときに途絶えて冬籠
告白の言葉もっとも息白し
かけねなくやさしくされて蕪汁
冷たくて愛の言葉の上滑り
   来よと言ふ小諸は遠し冬籠  武原はん女

   「俳諧歳時記」に、
   冬の寒い間、防寒の用意をして家の内に引籠ってゐることは東北地方や北陸、北海道のやうな寒国にして初めて充分味ははれることであらうが、必ずしも寒国に極ったことはない。冬の間は兎角外出することが億劫になって家居がちのものである。堅く閉ざしたガラス戸越しに、庭へやって来てゐる笹鳴をぢっと眺めてゐたり、火鉢に炭をついだりすることも、自ら起居の中に静かな冬籠の心持はあるものである。
  とある。
   俳句の季語としての冬は、立冬(十一月八日ごろ)から立春(二月四日ごろ)の前日までをいい、初冬(立冬から大雪の前日、十二月七日ごろまで)、仲冬(大雪から小寒の前日、一月五日ごろまで)、晩冬(小寒から立春の前日、二月三日ごろまで)の三冬(冬全体)に分けていわれる。
   「古今集」に、「雪降れば冬ごもりせる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける」(紀貫之)などと詠まれている。

   さて、松本たかしに「夢に舞ふ能美しや冬籠」(昭和十六)がある。
   今はかえらぬ己れの舞台姿を、冬籠のとある夜の夢に見たあとでの悔恨句である。「冬籠」の季語には初句、中七の悔恨を受けて、より深い虚しさの訴えがある。
   昭和九年、「ホトトギス」に載せた俳話のなかに「私の父など、自身は苦難な鍛錬道を辿って来たにもかかわらず、自由主義的な考をもってゐる方なのであるが、修業時代に私が下駄をはいてゐて、よろけたりすると、能役者のクセによろける奴があるか、と微笑し乍らもかうした口吻が迸り出るのである。これは腰が悪いと云ふことに対しての注意で、能役者の動きに於いて、腰のいい悪いは、非常に重大なことなのである。十五六以後稽古といふものをしない、私の姿勢などは気が附いてみると、何時の間にか背は曲り、肩は前へ出、首には力がなく、足許はおぼつかなくなってしまひ、身体の動きは滑らかさを失くしてしまった。」と述懐している。

   冬ごもり秀衡塗をたなごころ  大堀 柊花

  冬籠(ふゆごもり)大雪(たいせつ)秀衡(ひでひら)口吻(くちぶり)

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