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    道のべや手よりこぼれて蕎麦の花  蕪村

   「和漢三才図会」に、
   蕎麦(タデ科ソバ)は立秋の前後に種を播き、八,九月に収穫する。大へん霜を畏れる。苗の高さ一、二尺。茎は赤く、葉は緑で、烏桕樹(喬木類)の葉のようである。小さい白花を開くが繁密であざやかで美しい。実をるいるいと結ぶが羊蹄(水草類)のようで、実には三稜がある。老ねると烏黒色で、磨いて粉にし、煎餅にし蒜を配して食べる。あるいは湯餅にする。
  とある。
   ソバは古くから利用されてきた穀類の一つで、救荒作物の一つともされてきた。
   現在の主産国はソ連で、ポーランド、カナダ、日本もおもな生産国である。国内では北海道が全国の半分を生産し、鹿児島、茨城、青森の諸県も産地である。
   日本へは中国から朝鮮半島を経て伝えられた。もっとも古い記録として「続日本紀」に、養老六年(七二二)に旱魃が起き、将来に備えてソバ栽培を奨励したとある。ヨーロッパの記録は十四世紀にドイツでみいだされ、十七世紀にはヨーロッパ各地に伝播している。アメリカには一六二五年以前にオランダ植民によって導入され、続いてカナダに伝播した。

   さて、落語に「蕎麦の羽織」がある。
   清兵衛という旅商人が、信州へ行った帰りの山道で、大きなうわばみが人を呑み、腹がふくれたので岩陰の赤い草の葉をペロペロなめると、腹が段々に小さくなるのを見た。これは食べ物をこなす草だなと、これをつんで持ち帰った。そばが大好きな清兵衛は、そばを五十食たべて見せるといって友だちとかけをする。三十までは一気に食べたが、あとがはいらない。そこで障子の外へ出て、みなの見ていないところで例の草をなめた。しばらくたってあまり静かなので、みなが障子をあけてみると、清兵衛がいなくて、そばが羽織を着ていた。

   しらじらと山より明けて蕎麦の花  大堀 柊花

  蕎麦の花(そばのはな)烏桕(うきゅう)羊蹄(ようたい)稜(かど)
  老ねる(ひねる)磨いて(ひいて)蒜(にんにく)続日本紀(しょくにほんぎ)
  旱魃(かんばつ)
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深海の恋の華麗に夏芝居
荒事の弁慶縞の涼しさよ
秋蝉の鳴く音遥かに地唄舞ふ
立子亡き今も紫苑のむらさきに
刈り伏せし草のにほへる盆の月
渋取の婆となるまで村を出ず
凶作の畦ほそぼそとつづきけり
おもむろに送行の笠傾げゆき
激情はいっときのこと稲光
鳥影をちらりと硯洗ひけり
    盆の月拝みて老妓座につきし  高野 素十

   「ホトトギス新歳時記」に、
   本来盂蘭盆会にあたる陰暦七月十五日の満月をいう。ただ最近では盆が陽暦または一月遅れで行われることが多いため実感が薄れたが、陰暦で行う地方で仰ぐ盆の月はしみじみとした思いに人の心を誘う。本来盆踊も、こうした盆の月明りのもとで行われた。
  とある。
   夜間の照明の十分に発達しなかった時代においては月夜はなによりの恩恵であった。したがって月についての年中行事や伝説は多い。古くは平安時代の観月の宴、現代においては小正月に行われる、どんど焼、八月十五夜の観月の宴、九月十三夜の後の月見などがある。
   盆は、七月十三~十五日を中心とする先祖の祀りであるが、屋外に臨時のかまどを築いて飲食する盆竈、盆飯、辻飯、川原飯などとよばれる行事があり、あるいは盆に招いた先祖様を慰め、これを送るための盆踊りなどがある。「四五人に月落ちかかる踊かな 蕪村」。これらの行事はすべて月明りのもとで行われるのである。

   さて、落語に「月の面影」がある。
   雲水の僧が、身投げをしようとしていた若い男をうしろから抱きとめた。わけをきいてみると、この男は船場の商家の若旦那で、北野新地の芸妓に夢中になり、親の金二百円を盗み出して身受けしたところ、芸妓はほかに情夫がいて、かけ落ちしてしまった。しまったと気がついたがあとのまつり、親の家へ帰るのも面目ないので、死ぬ気になったという。僧は若旦那に二百円与え、家へ帰って親孝行をしろと、名も明さずに行ってしまう。若旦那が家に帰って、事情を話してわびると、大旦那は若旦那と番頭に、すぐにその僧を探せという。身投げをしようとした近辺を二人で探すと、竹薮の中に菰が一枚敷いてあり、出家の姿は見えない。丸面桶が落ちていたので、ひろい上げてみると、裏になにか書いてある。「池の面に夜な夜な通う月なれば水も濁さず影も残さず」

   濡れ場みて戻る道々盆の月  大堀 柊花

  盆の月(ぼんのつき)丸面桶(まるめんつう)
火にかけて泥鰌の地獄始まれり
臆面もなく箸つけて泥鰌鍋
薬味箱ねぎ山盛りにどぜう鍋
密会のやうでもなくて泥鰌鍋
煮詰まって尉の崩るる泥鰌鍋
青葉潮にほふ駒形橋あたり
観音の余りの風に風鈴屋
浅葱幕落とせしごとく梅雨明くる
中庭の水音絶えぬ夏座敷
峰雲や女の乳房盛り上がり
    風鈴のならねばさびしなれば憂し  赤星水竹居

   「俳諧歳時記」に、
   形鐘に似て小さき金属を以って造りしものにて、内に舌を垂れ、其舌に短冊などをつけて簷などに懸け置き、風に触れて音を発せしむ。其音虫の音に似たりとて、松虫・鈴虫等の名を附せしものあり。夏日涼を入るる時、その風を受けて鳴る音を賞美するものなり。近来球状の玻璃にて造れるものあり、風趣金に及ばず。
  とある。
   風鈴は小さい鐘などの形をした金属製、陶器製、ガラス製の鈴。中に風受けの羽や短冊などをつけた舌が下がっており、軒先に吊るしておくと風に吹かれて快い音を発する。古く中国の書に見え、鉄馬、簷馬、風鐸、風筝などの名がある。わが国では室町時代には家具として普及していた。江戸時代以降、風鈴売りは虫売りなどと並んで夏の風物詩として親しまれた。

   さて、随筆に「旧聞日本橋」(長谷川時雨)がある。
   青葉がもめて、風がすっと通ってゆき、うすい埃がたつと、しんとした正午近くは、「稗蒔き」が来る。苗売りが来る、金魚やがくる、風鈴やが来る。ほおずき売りがくる。汗ばんで来たなと思うころには、カタカタと音をさせて、定斉屋がくる。甘酒売りがくる。虫売りがくるー定斉屋と甘酒やだけが真夏になればなるほど日中炎天をお練りでゆくが、その他は小かげをえらんで荷をおろす。丁度その家の隣りが堀越角次郎という、唐物問屋の荷蔵の裏になって、ずっと高い蔵つづきの日かげなので、稗蒔屋はのどかになたまめ煙管をくわえ、風鈴屋はチロリン、チロリンと微風に客を呼ばせている。

   あさくさや風鈴の音も江戸前に  大堀 柊花

  風鈴(ふうりん)舌(ぜつ)簷馬(えんば)風筝(ふうそう)稗蒔き(ひえまき)

  唐物(とうぶつ)煙管(きせる)微風(そよかぜ)風鐸(ふうたく)

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