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   万両

    万両にゆきとどきたる帚かな  橋本 鶏二

   「花の大歳時記」に、
   ヤブコウジ科の常緑小低木。葉は厚く光沢のある長楕円形で、茎は直立してまばらに小枝を出す。高さ六十センチから時に一、二メートルに及ぶ。関東以西・四国・九州の暖地樹陰などに自生するが、広く観賞用として庭園に栽植される。万両の名の由来は、千両に勝る意といわれる。七月ごろ、枝の先に小さな白い花を散房状につける。花のあと青い球形の実を下垂し、冬季に熟れて真紅となる。園芸品種に黄や白色の実のものもある。縁起物として正月用の飾りに用いられる。
  とある。
   中国では全株や根を活血去瘀(うっ血)、清熱降火、消腫解毒、去痰止咳などの薬にする。マンリョウ系の名は十八世紀末ころから使われ始めたが、初めはまん竜、万里ゃうなどと綴られ、文政(一八一八~三十)のころから万両が庶民に定着し始めた。万両はカラタチバナの中国名百両金に対応した名と考えられる。マンリョウは江戸の終りにブームとなり、「草木奇品家雅見」(一八二八)には斑入りや葉変わり十二品種が載っている。

   さて、随筆に「まんりやう」(薄田泣菫)がある。
   夕方ふと見ると、植込の湿っぽい木かげで、真赤なまんりょうの実が、かすかに揺れてゐる。寒い冬を越し、年を越しても、まだ落ちないでゐるのだ。
   小鳥の眼のやうな、つぶらな赤い実が揺れ、厚ぼったい葉が揺れ、茎が揺れ、そしてまた私の心が微かに揺れてゐる。
   謙遜な小さきまんりょうの実よ。お前が夢にもこの夕ぐれ時の天鵞絨のやうに静かな、その手触りのつめたさをかき乱さうなどと、大それた望みをもつものでないことは判ってゐる。いや、お前の立ってゐるその木かげの湿っぽい空気を、自分のものにしようとも思ふものでないことは、よく私が知ってゐる。お前はただ実の赤さをよろこび、実の重みを楽しんでゐるに過ぎない。お前は夕ぐれ時の木蔭に、小さな紅提灯をともして、一人でおもしろがってゐる子供なのだ。

   一両もこぼさずに活け実万両  大堀 柊花
 万両(まんりょう)去瘀(きょお)消腫(しょうしゅ)去痰(きょたん) 
  草木奇品家雅見(そうもくきひんかがみ)
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参道の関東札所冬柳
仲見世の移り変はりも年の市
刃物屋の切先立てて年の市
ちんどん屋過ぎて淋しき年の市
扇屋の人待ち顔に箱火鉢
三味の音の流るる路地も年の暮
大道芸始まってゐる年の暮
羽子板の荷をほどきゐる冬日向
砂時計さらさら落ちて日短
餌に群れて白一色の白鳥湖
 白鳥

     白鳥といふ一巨花を水に置く  中村草田男

   「和漢三才図会」に、
   天鵞(一名は鵠)とは俗にいう白鳥である。白鴈に似ていて大きい。頂、頸は長くて肥大である。眼の前、觜の上は黄赤。觜、脚はともに黒く、羽毛は白沢。極めて高く翔び、また善く歩く。翅骨は大へん強く、鷹でさえも疲れているときはこれに搏たれる。腹毛は太だ柔厚で、これで革をつくり、襯衣や巾膕にもつくる。温かくてよく寒を禦ぐ。これが天鵞絨といわれるものの類であろう。翅の裏羽は細長く潔白で、羽茎の中正なものを俗に君知らずと称する。これで楊弓の箭羽を造ると大へん佳い。
  とある。
   日本ではオオハクチョウが北海道の湖沼、青森県の小湊、大湊、秋田県八郎潟、宮城県伊豆沼、新潟県水原町の瓢湖などに渡来する。
   白鳥は、その容姿から、神秘的な鳥として神聖視されることが多い。早く「古事記」や「日本書紀」の景行天皇条に、倭建命が死後に白鳥になって飛び去った、とあるのがよく知られる。その古代説話の英雄を主人公にした、梅原猛作「ヤマトタケル」は
市川猿之助によって上演された。悲劇的な一生であるが死してなお、魂は白鳥となって飛翔する。

   さて、クラシック・バレーの代表作に「白鳥の湖」(チャイコフスキー作曲 ライジンガ―振付 一八七六初)がある。
   魔法使いロットバルトによって白鳥に変えられている王女オデットは、夜の間だけ人間に戻るが、彼女に恋をした王子ジークフリートは強い愛情によってその魔法を解くというのが大筋である。初演は成功を収めることができず、作曲者の死後改定上演されて大成功を収め、今日の大流行の基礎がつくられた。
   清純な白鳥オデットと、ロットバルトの娘で王子を誘惑する黒鳥オデールを一人で演じ分けるのが、プリマ・バレリーナの第一歩とされる。

    白鳥の首くねらせて睦み合ふ  大堀柊花

  白鳥(はくてう)天鵞(はくちょう)太だ(はなはだ)襯衣(はだぎ)巾膕(きゃはん)禦ぐ(ふせぐ)天鵞絨(びろうど)水原(すいばら)倭建命(やまとたけるのみこと)景行(けいこう)箭羽(やばね)翅骨(しこつ)
浜町の路地の親しき神の留守
冬芽立つ浜町河岸に人を見ず
明治座の幟の見えて銀杏散る
三味を売り葛籠を売って小六月
積まれたる名入りの葛籠冬暖か
人形町からくりやぐら初時雨
人形焼買うてまたもや片時雨
袴着の子のちやらちやらと歩きけり
門灯のほのと灯りて花八手
初冬や水美しく流れゆき
  八手の花

     豆腐やの笛来てとまる花八手  高崎小雨城

   「俳諧歳時記」に、
   八手は漢名を八角金盤と称し、我国では「てんぐのうちわ」などとも言ってゐる。
  五加科の常緑灌木で暖地に自生し、高さ七八尺に達する。冬日、枝梢間に花茎を抽き、小枝を分岐して、淡黄白色の小花球状をなして繖形花序に咲かせる。この花は冬の季感まことに豊かである。花後、果実は黒色に成熟するが毒性である。
  とある。
   八手はウコギ科の常緑低木。名は、八つ手の意味で、手のひらを広げたような葉の形に由来する。品種にシロフヤツデ、フクリンヤツデ、キモンヤツデなどがあり、ともに庭木として植えられている。
   元禄時代(一六八八~一七〇四)の園芸書には名をみない。貝原益軒も「花譜」(一六九四)では触れず、「大和本草」(一七〇九)で「西州に多し・・・京畿にて未だこれを見ず」と解説。「草木奇品家雅見」(一八二六)には、葉が白く覆輪したフクリンヤツデを載せる。ヤツデの名は八手に基づくが、葉の切れ込みは七、九、十一と通常奇数で、九が多い。それを八としたのは、縁起を担いだと思われる。魔除けや疫病除けに庭に植えたり、門口に吊るす風習があった。

   さて、「魔除け」は、外部から襲ってくる魔物を退散させること。もっとも一般的な方法は、家の門口に神仏の御札を掲げることである。そのほか各地に多くみられるものに、イワシの頭、蹄鉄、ハチの巣、花火の殻、ニンニク、ヒイラギの小枝などがあり、門口の御守りとされている。変わったものでは、東京の郊外などにもみられた「鎮西八郎為朝御宿」と書いた札を家の入り口に貼っておき、風邪の予防とした。また、「蘇民将来之子孫」と書いた木片を護符とする例もある。

    灯ともれる路地の薄闇花八手  大堀柊花

   大和本草(やまとほんぞう)京畿(けいき)家雅見(かがみ)
   蹄鉄(ていてつ)五加(うこぎ)繖形(さんけい)
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