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 海苔小屋をのぞき火の番返し来る  江口竹亭

   「俳諧歳時記」に、
   火廻り・火の用心・夜番・夜廻り・夜警などいろいろ名前があるが、昔は単に「番」或ひは「番の者」などと云ってゐた位に全く常置的のものであった。今でも町内で番人を常置してゐる所が相当あり、大きな邸や工場などでは単独に夜番を常置してゐる向きが多いが、夜番を置いてゐない町では、青年団などが師走で世間の忙しい時分などに奉仕的に団員交代で夜警を勤める事がある。火の番といふと専ら夜中の火を警める為の番であって、拍子木を打ち金棒をひき、火事装束をした勇ましい消防手又はよぼよぼ歩いてゐるさびしい老人の姿などを思ひ出す方が自然である。
  とある。
   江戸幕府は火災の警戒のために下記のような役職等を置いた。(1)江戸城内の火災の予防のための職。目付の配下で、表、奥の二種があって組頭が監督する。本丸のほか、西の丸、二の丸にも置かれた。(2)幕府の管理する、浅草御蔵、増上寺、寛永寺、湯島聖堂などの火の番。これらは諸所火の番とよばれ、部署によって浅草御蔵火之番、増上寺火之番などと称した。

   さて、小山内薫の戯曲に「息子」(大正十二初)がある。
   徳川末期の江戸の入口、雪の降りしきる師走の夜半過ぎの火の番小屋。土間で焚火をする老爺のところに若い男が現れて話しかける。彼は九年前に家を出て上方に行き、いまや御尋ね者となった息子の金次郎である。老爺は暗がりでそれとは気づかず、なにくれとめんどうをみて話を続ける。しかし、ようすをうかがっていた捕吏に悟られ、遠く呼笛の行き交うなか「ちゃん」の一声を残して消え去る。
   小山内薫は、日本の近代劇運動の先駆者。大正十一年、三田文学に、この戯曲を発表した。英国の作家ハロルド・チャピンの「父を尋ねるオウガスタス」の翻案。江戸市井の雰囲気がただよう佳品である。平成十七年十一月、染五郎の息子、歌六の老爺、信二郎の捕吏で上演された。

    火の番の油障子へ火が灯り  大堀柊花

  警める(いましめる)御蔵(おくら)呼笛(よびこ)
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