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       釈奠

    釈奠や誰が注古りし手沢本  日野 草城

   「年中行事辞典」に、
   春・秋に孔子をまつる行事。陰暦二月・八月の上の丁の日に行う。釈奠とは、釈もも奠も「置く」という意味の字で、供え物を神前にささげ置くことをいう。すなわち先聖先師の祭の総称、またはその祭の仕方をいった語であるが、後漢の世に民帝が孔子の宅を訪れて、孔子と七十二弟子を祭って以来、孔子を祭る大典を釈奠(釈典)というようになった。釈奠は、うきくさ・しろよもぎなどの植物を供えたから、釈菜とも呼ばれる。わが国では文武天皇が大宝元年二月大学寮に幸して、初めて釈奠を行われた。宮中では大学寮に孔子と顔淵はじめ十哲の肖像をかけて博士たちが講義を行い、担当の公卿以下が拝を行い、宴を設けて、席上経義を論議し詩を講じた。
  とある。
   この行事は皇室の衰微とともにすたれ、室町ごろは胙(ひもろぎ)を奉ることも行われなくなった。江戸時代初期には佐賀県多久市の孔子廟のみが釈奠を行っていたが、維新後廃絶した。その後これを復興し、湯島聖廟で行うようになり、明治後も行われたが、現在は盛んでない。多久の釈奠は四月十日・十月十四日で、式典は孔子に十哲を配祀し、祭文をよみ、献詩を朗誦し、奏楽・礼拝など、最古式をもって行われる。
  

  さて、孔子は中国古代の思想家。儒教の祖。名は丘。字は仲尼。孔子の「子」は尊称。魯の国(山東省)の人。魯の下級武士叔梁紇と、その内縁の妻徴在との間に生まれた。父は大力で斉との戦闘で武勲をあげている。孔子三歳のとき父が没し、倉庫番や牧場の飼育係をしながら学問に励んだので定まった師匠はない。当時の天下は下剋上の風が瀰漫していた。
   五十四歳、魯の大司寇(司法大臣)となるが、自分の理想の政治を実施してくれる君主にはめぐり合えなかった。以後は政界に望みを絶ち、弟子の教育に専念する。弟子の数三千人。うち「六芸」(礼、楽、射、御、書、数)に通じたもの七十二人。
   孔子は六芸のすべてにかかわったとされる。孔子の死後、その弟子または再伝の弟子が孔子の言行録を編んだ。「論語」二十篇がそれで、孔子の思想を知るための唯一の信用すべき資料である。

   釈奠の磴にこぼるる鳥の声  大堀 柊花
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