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 玉蜀黍

  唐黍やほどろと枯るる日のにほひ   芥川龍之介

 「俳諧歳時記」に
 玉蜀黍の稈は太く、五六尺に達し、円柱状にして処々に節ありて葉を互生す。葉は
大なる線状被針形にして並行脈を有す。雄花は二個づつ相集りて螽花をなし、稈の頂端に円錐花序に排列し、雌花より成れる小穂状花序は、葉腋より生じたる多肉の花軸に密生して肉穂花序をなし、大形の苞につつまれ、長き毛状の花柱をふさふさと苞の外に出すこと此黍の風致なり。大小豆の如き黄色の果実、累々として花軸上に縦に並びて集り着く。
  とある。
   トウモロコシの起源は古く、考古学的資料によれば、野生祖先種は少なくとも紀元前五000年ころにはメキシコに分布していた。ヨーロッパへの導入は、新大陸発見時にキューバからスペインに持ち帰ったのが最初である。アジアへは十六世紀の初めポルトガル人によって入り、インドからチベット経由で中国に入った。日本へは天正七年(一五七九)にポルトガル人が長崎に入れたのが最初であるが、明治初年にアメリカから北海道に入り、北海道で盛んに栽培された。
 アンデス高地のケチユア族の民話に、昔、コンドルに案内されて天に昇ったキツネが、まだ地上にないトウモロコシなどの食物を食べて満腹になり、綱を伝って地上へ降りる途中、インコの群れをののしったため綱を切られて地上に墜落した。そのとき破裂したキツネの体から作物が飛び散り、以後それらが地上で生えるようになったという。

   さて、ある落雷の多かった年に、葛飾方面に大きな雷が落ち、家も畑も損害をうけた。ところがたまたま赤色の玉蜀黍をつるしてあった家だけが、落雷を除けることができたという。さっそくこれを商いにすべく、浅草観音四万六千日で賑わう境内にて売りさばくと、たちまち売れてしまった。その後、他の土地の人びとも赤色の玉蜀黍を競って栽培し、商いをするようになったのが市の人気をあおった。酸漿もそのひとつで、酸漿市となるまでには時代がだいぶのちの幕末となる。

    吹かるるは玉蜀黍の赤毛かな  大堀柊花

  玉蜀黍(たうもろこし) 稈(かん)螽花(しゅうか)苞(ほう)
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