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   人稀に月光をくる菊供養  大野林火

   「ホトトギス新歳時記」に、
   陰暦九月九日重陽の日に、浅草観音堂で大僧正以下、菊花の供養をする。参詣人は携えた菊の花を供え、その供養した菊を取りかえて帰り、諸病災難よけとする。現在は十月十八日に行われている。
  とある。
   陰暦九月の異名を「菊月」といい、九月九日を「菊の節供」とか「重陽の節供」という。中国では陽の極数である九が重なる日を「重陽」とか「重九」とよんでめでたい日とした。そして、この日「登高」といって丘に登り、野外で菊花酒を飲み、女は呉茱萸を身につけて邪気を払い、災厄を逃れるという習慣があった。この風習は、奈良時代の末から平安時代の初めに菊花とともに中国から日本に伝わり、「菊花の宴」「菊花の杯」の宮廷行事として残された。平安文学には、九月九日に前夜菊の花にかぶせておいた真綿をとり、その香と露を移した綿で身をなでれば長寿を保つという「菊の着せ綿」なども描かれている。また江戸時代になると重陽が五節供の一つとなり、この日諸大名は、菊花を添えた献上品を将軍に貢じ、江戸の浅草寺観音堂では菊供養が行われた。

   さて、能に「菊慈童」がある。魏の文帝の臣下(ワキ)が、「酈県山の麓から薬の水が湧き出た。水上を見て参れ」との勅命を受け、山中に分け入り、慈童(シテ)に出会う。「何者か」と問われて「自分は周の穆王に仕えた侍童のなれのはてだ」という慈童の答えに、勅使が「七百年も昔の人間とは、妖怪変化か」と怪しむ。そのとき慈童は、穆王から賜った枕に記された偈の妙文を写した菊の葉におりた露の滴りが不老不死の薬となり、七百歳もの長寿を保つことになったということに初めて気づき、喜びの舞楽を舞う。そして、酈県の山の水は菊水の流れ、その泉はもともと酒なのだからと、勅使たちにもすすめ、自らも飲み、一旦は菊の花を折り敷いて寝るが、やがて覚め、七百歳の寿命を文帝に捧げて、仙家へ入って行く。
   
   金堂の暗がりに待ち菊供養  大堀柊花

  菊供養(きくくよう)重久(ちょうきゅう)呉茱萸(ごしゅゆ)杯(さかずき)
  菊慈童(きくじどう)酈県山(てっけんざん)水上(みなかみ)穆王(ぼくおう)
  
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