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天神のわが生まれ日の梅ひらく
紅梅の枝に結びし恋みくじ
淨玻璃の鏡も曇る寒さかな
臘梅や舞殿は注連めぐらせて
撫で牛の鼻の金色梅寒し
寒禽の瑠璃をこぼして神の池
水煙のかげろふ方を恵方とす
寒雀ずっこけさうに飛んでくる
寒餅の罅うつくしくひろがれり
楪や父の血筋を疑はず
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  眺めやる日は美しき恵方かな  宇多 零雨

   「年中行事辞典」に、
   恵方は歳徳神のいる方位であるというので、年のはじめにはその方角に当たる神社に参拝する風が、江戸時代には盛んで、これを恵方詣といい、その道を恵方道という。元日早朝、恵方に当たる神社に参り、いの一番に開運札やお守りを受けるため暗いうちから出かけて、初日の出を拝んで帰って来るという風は、東京でも大正初期ごろまでは盛んに行われた。これを元日詣ともいって年籠りの風習の変化といえるが、二日以後十五日ごろまで諸社寺の初詣と結び付いて恵方詣を行う風が今も各地に多い。
  とある。
   歳徳神は正月に迎えて祭る神で、年神・正月様ともいう。毎年ちがう方向に宿り、そこから人間世界を訪れる、という信仰がある。その方角が恵方で、明きの方ともいい、その年の干支にもとづいて定められる。
   歳徳棚・恵方棚といって、正月の神がやってくる恵方に向けて棚を吊る習わしが多い。この棚を小松・注連縄・白紙などで飾り、神酒や鏡餅などを供える。

   さて、落語に「山号寺号」別名「恵方詣」がある。
   旦那が権助を連れて恵方詣に出ると、途中でタイコ持ちの一八に会う。「どちらへ?」「成田山だ」「ああ新勝寺ですな」「いや成田山だ」「ですから新勝寺でしょう。成田山は新勝寺で、東叡山寛永寺、金竜山浅草寺、万松山泉岳寺てえぐあいに、山号寺号はどこにでもあります」「そうか、じゃあこの近所にもあるかい。一つ出すたびに五十銭出そう」といわれて、一八はアンマさんもみりょうじ、女中さんふきそうじ・・・・といったぐあいに出して五十銭ずつもらう。あるていどたまったところで旦那「ちょいとお前にやった祝儀を全部お出し」「どうするんです」「まあ見てろ。これをこうしてふところに入れて、すそをはしょって・・・一目散隋徳寺」と逃げ出すと一八「南無三仕損じ」

   舞扇かざせし方を恵方とす  大堀 柊花

  恵方詣(ゑはうまゐり)歳徳神(としとくじん)

メトロ出てここは浅草年の市
刃物屋の刃物直立冬深し
もつ鍋を煮つめて六区年つまる
山門を固く閉ざして冬至寺
前売りを買ふ浅草の冬日和
冬帝の放ちし鳥か声尖り
物の怪と知らず火の番すれ違ふ
水亭の灯に遠くゐる浮寝鳥
何事も始めがよろし初氷
 海苔小屋をのぞき火の番返し来る  江口竹亭

   「俳諧歳時記」に、
   火廻り・火の用心・夜番・夜廻り・夜警などいろいろ名前があるが、昔は単に「番」或ひは「番の者」などと云ってゐた位に全く常置的のものであった。今でも町内で番人を常置してゐる所が相当あり、大きな邸や工場などでは単独に夜番を常置してゐる向きが多いが、夜番を置いてゐない町では、青年団などが師走で世間の忙しい時分などに奉仕的に団員交代で夜警を勤める事がある。火の番といふと専ら夜中の火を警める為の番であって、拍子木を打ち金棒をひき、火事装束をした勇ましい消防手又はよぼよぼ歩いてゐるさびしい老人の姿などを思ひ出す方が自然である。
  とある。
   江戸幕府は火災の警戒のために下記のような役職等を置いた。(1)江戸城内の火災の予防のための職。目付の配下で、表、奥の二種があって組頭が監督する。本丸のほか、西の丸、二の丸にも置かれた。(2)幕府の管理する、浅草御蔵、増上寺、寛永寺、湯島聖堂などの火の番。これらは諸所火の番とよばれ、部署によって浅草御蔵火之番、増上寺火之番などと称した。

   さて、小山内薫の戯曲に「息子」(大正十二初)がある。
   徳川末期の江戸の入口、雪の降りしきる師走の夜半過ぎの火の番小屋。土間で焚火をする老爺のところに若い男が現れて話しかける。彼は九年前に家を出て上方に行き、いまや御尋ね者となった息子の金次郎である。老爺は暗がりでそれとは気づかず、なにくれとめんどうをみて話を続ける。しかし、ようすをうかがっていた捕吏に悟られ、遠く呼笛の行き交うなか「ちゃん」の一声を残して消え去る。
   小山内薫は、日本の近代劇運動の先駆者。大正十一年、三田文学に、この戯曲を発表した。英国の作家ハロルド・チャピンの「父を尋ねるオウガスタス」の翻案。江戸市井の雰囲気がただよう佳品である。平成十七年十一月、染五郎の息子、歌六の老爺、信二郎の捕吏で上演された。

    火の番の油障子へ火が灯り  大堀柊花

  警める(いましめる)御蔵(おくら)呼笛(よびこ)
はからずも逢ふ綿虫も殿ヶ谷戸
捕らはれの綿虫わたをこぼちけり
湧水へ枝差し伸べて冬紅葉
老松の腰のあたりを霜がこひ
鹿おどし音を待つ間と楽しむ間
いぢましきまでに撓めて盆の菊
仏めく石蕗の花てふ国分寺
渡しとは人待つところ初時雨
綿雲のひっかかりゐる枯葉かな
画廊出てより凩につけらるる
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