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 コスモス

    つきはなす貨車コスモスのあたりまで  深川正一郎

   「花野大歳時記」に、
   キク科の一年草。和名はアキザクラ。コスモスはギリシャ語の「飾り、美しい」を意味する。アジゾナよりボビリアにいたる暖地、とくにメキシコなどに自生。十八世紀末ごろ、メキシコからスペインのマドリッドへ送られ、マドリッドの植物園でコスモスと名づけられた。日本へは明治二十年ごろから渡来。夏から秋にかけて咲きつづける上に、性質が丈夫で種がとび散り急速に広まった。さし芽も出来る。今は全国いたるところに分布。早咲きは六月ごろひらくが、大方は十月ごろ、白・淡紅・濃紅・紅紫色と、さまざまな明るい色を楽しませてくれる。
  とある。
   コスモスはアキザクラ(秋桜)、オオハルシャギク(大春車菊)ともいう。メキシコ原産。草丈は二メートルほどになり、葉は対生し、細く裂けた羽状葉をつける。花は茎頂につき、桃、赤、白色などがあり、径六~八センチで、一重のほか中心部の管状花が発達した丁字咲きや八重咲きがある。最近は改良が進んで早咲き品種がつくられ、センセーション、ラジアンス、ベルサイユなどが、代表品種である。

   さて、星野立子に「コスモスの花ゆれて来て唇に」がある。大和の大野寺から女人高野室生寺に廻った折の作。同時に「再びの秋晴空を高くしぬ」「みぞそばの溝の深さに咲き窪み」などの句がある。晴れ渡った空の下、コスモスが咲き群れている。傍らに跼みこんで、花の美しさに心を遊ばせていると、風に揺れて来たコスモスの花びらが、つと唇に触れた。「コスモスの花ゆれて来て」とゆっくりとした句の調べに花の柔らかな揺れざまがあり、「唇に」の句の結びに花をいとおしむ心がある。後年この時の思い出を「(大野寺の)寺苑に立って、私は磨崖仏というものをはじめて凝視した。河原におり立った人が粒のように小さく見えると、磨崖仏は一段と大きく、私の目に映った。秋であった。寺苑の置石の前にコスモスが群れ咲いていた」と記している。

   コスモスの吹きあらはせる小家かな  大堀 柊花

  丁字(ちようじ)
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新しき恋得て硯洗ひけり
天の川この世のことはこの世でと
いくたびも苛むごとく稲光
ネオン濃き川へ灯籠流しかな
横顔の月に淋しき盆をどり
魂まつり身寄り少なくなりしかな
山国の雨脚早き花煙草
桃の実のふくよかにして貧しき手
遅れたる人に眩しき夜学の灯
朝顔や雀の覗く小鳥籠
菊月といふもゆかしき浅草寺
胸に抱く供養の菊に冷えすこし
暗がりにみ仏おはす菊供養
燈籠を邪鬼の捧ぐる菊供養
菊の塵畳にこぼれ菊供養
金龍の舞じぐざくに秋高し
椎の実のはらりと涙ほどこぼれ
契りには浅きと深き菊枕
朝寒や動かぬものに茜雲
支へ木を一つふやして冬支度
   人稀に月光をくる菊供養  大野林火

   「ホトトギス新歳時記」に、
   陰暦九月九日重陽の日に、浅草観音堂で大僧正以下、菊花の供養をする。参詣人は携えた菊の花を供え、その供養した菊を取りかえて帰り、諸病災難よけとする。現在は十月十八日に行われている。
  とある。
   陰暦九月の異名を「菊月」といい、九月九日を「菊の節供」とか「重陽の節供」という。中国では陽の極数である九が重なる日を「重陽」とか「重九」とよんでめでたい日とした。そして、この日「登高」といって丘に登り、野外で菊花酒を飲み、女は呉茱萸を身につけて邪気を払い、災厄を逃れるという習慣があった。この風習は、奈良時代の末から平安時代の初めに菊花とともに中国から日本に伝わり、「菊花の宴」「菊花の杯」の宮廷行事として残された。平安文学には、九月九日に前夜菊の花にかぶせておいた真綿をとり、その香と露を移した綿で身をなでれば長寿を保つという「菊の着せ綿」なども描かれている。また江戸時代になると重陽が五節供の一つとなり、この日諸大名は、菊花を添えた献上品を将軍に貢じ、江戸の浅草寺観音堂では菊供養が行われた。

   さて、能に「菊慈童」がある。魏の文帝の臣下(ワキ)が、「酈県山の麓から薬の水が湧き出た。水上を見て参れ」との勅命を受け、山中に分け入り、慈童(シテ)に出会う。「何者か」と問われて「自分は周の穆王に仕えた侍童のなれのはてだ」という慈童の答えに、勅使が「七百年も昔の人間とは、妖怪変化か」と怪しむ。そのとき慈童は、穆王から賜った枕に記された偈の妙文を写した菊の葉におりた露の滴りが不老不死の薬となり、七百歳もの長寿を保つことになったということに初めて気づき、喜びの舞楽を舞う。そして、酈県の山の水は菊水の流れ、その泉はもともと酒なのだからと、勅使たちにもすすめ、自らも飲み、一旦は菊の花を折り敷いて寝るが、やがて覚め、七百歳の寿命を文帝に捧げて、仙家へ入って行く。
   
   金堂の暗がりに待ち菊供養  大堀柊花

  菊供養(きくくよう)重久(ちょうきゅう)呉茱萸(ごしゅゆ)杯(さかずき)
  菊慈童(きくじどう)酈県山(てっけんざん)水上(みなかみ)穆王(ぼくおう)
  
雲ひとつなき青空と秋の川
猪牙舟の過ぎしはむかし水澄めり
松手入れ終へし中川船番所
船番所通行手形秋灯下
釣竿に江戸の華やぎ火恋し
落飾の姫のおもかげ白式部
きぬかつぎ姫といふあり衣被
蕎麦咲いて月の信濃の白浄土
叶はざることは来世で夕月夜
大方は素通りの径ゑのこ草
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