俳句
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薫風や昼も小暗き孔子像
孔子像かぐろくおはす椎の花
聖堂の木蔭涼しき楷大樹
どくだみのひそかなにほひ学問所
青銅の屋根照り返す五月かな
躑躅燃ゆ明神坂は男坂
神田川流れをゆるく祭前
舞殿の松のいぶせき清和かな
夏立つや向きを変へたる手漕舟
ふところに文ひとつ秘め夏に籠る
孔子像かぐろくおはす椎の花
聖堂の木蔭涼しき楷大樹
どくだみのひそかなにほひ学問所
青銅の屋根照り返す五月かな
躑躅燃ゆ明神坂は男坂
神田川流れをゆるく祭前
舞殿の松のいぶせき清和かな
夏立つや向きを変へたる手漕舟
ふところに文ひとつ秘め夏に籠る
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安居
まっさをな雨が降るなり雨安居 藤後 左右
「俳諧歳時記」に、
安居は元来印度に於て釈尊弟子を伴ひ諸所を托鉢して衆人に結縁され居たりしも、雨期三ヵ月は日本の梅雨以上にして、途上には、爬虫類が蠢動し歩けば害ふ故、修行僧の衛生上よりするもよろしからずとの見地より、一切外出を禁じて屋内修業に資せられしによる。雨安居の名ある所以なり。
とある。
安居は、サンスクリット語バルシャ―バーサーの訳。雨安居、夏安居ともいう。仏教の修行者たちが雨期に一ヶ所に滞在し、外出を禁じて集団の修業生活を送ることである。中国では、所によっては降雪のため真冬の旅行も不適であったので、冬季にも安居する慣習が生まれた。これは雪安居、冬安居とよばれる。わが国では六八四年に初めて安居が行われたと伝えられる。
さて、増谷文雄著に「ブッダ・ゴータマの弟子たち」(一九七一)がある。
ブッダ・ゴータマの弟子たちのなかで、経のなかに、もっともしばしばその名の見えている、アーナンダ(阿難)の項から抜粋してみる。
しかるに、悠々たるブッダ・ゴウ―タマの一行が、やっとウェーサーリに到着したころから、ぼつぼつ雨の季節がはじまった。それは恐ろしい高温と湿潤の季節であって、家なき沙門たちも、さすがに、その季節のあいだは安居に入るさだめである。いわゆる夏安居がそれである。
そこで、ブッダ・ゴータマは、同行する比丘たちに、友人知人を頼って安居に入るべきことを命じ、自分もまた、アーナンダとともに、郊外のウェールウァ・ガーマカにおいて安居に入った。しかるに、この師の老いおとろえた身体は、もはや、あの厭わしい高温と湿潤に堪えかねたのであろうか、その安居の間に、おそろしい病を生じ、死ぬほどの激しい痛みにおそわれるにいたった。かたわらに侍るアーナンダは、ただおろおろする許りであった。
若僧の首ほっそりと夏に籠る 大堀 柊花
安居(あんご)雨安居(うあんご)夏安居(げあんご)雪安居(せつあんご)
冬安居(とうあんご)蠢動(しゅんどう)
鬼灯の花や高みにほつほつと
宝前を簀の子で仕切り鬼灯市
呼び込みの前にうしろに鬼灯市
鬼灯を売る浅草の青浄土
間に合はず四万六千日詣
鬼灯市ぬけて六区の芝居見に
てっぺんに金糸卵を散らし鮓
石膏の裸婦の出迎へ夏館
行商の笛とぎれがち日の盛り
寝茣蓙へも夜氣の湿りのいつしかに
宝前を簀の子で仕切り鬼灯市
呼び込みの前にうしろに鬼灯市
鬼灯を売る浅草の青浄土
間に合はず四万六千日詣
鬼灯市ぬけて六区の芝居見に
てっぺんに金糸卵を散らし鮓
石膏の裸婦の出迎へ夏館
行商の笛とぎれがち日の盛り
寝茣蓙へも夜氣の湿りのいつしかに
老鶯
老鶯や珠のごとくに一湖あり 富安 風生
「栞草」に、
老鶯とはもとより漢家の詩に出て、或は狂鶯とも乱鶯とも、すべて暮春の物なれども、残鶯は勿論にて、老鶯も夏の名となさば鶯に老の感情ありて、風雅は例のさびしみといはん。
とある。
また「俳諧歳時記」に、
鶯は二三月より鳴き始め、夏に至ればその声次第に生気に乏しくなり来る、これを老いたりとなし、老鶯といふ。古き書に、老鶯とはもと漢家の詩に出で、或は狂鶯とも乱鶯ともすとあれど、こは鶯を春のものとして時期外れの意ならん、声は夏季に入りたりとも鶯は声の狂ひ乱るるものにあらず。春よりは生気乏しくなれど、調子は寧ろ流暢となるものなり。されど鶯の附子とて、その声を学ばしむるも仲夏よりとす。
とある。
鶯は、鳥鋼スズメ目ヒタキ科ウグイス亜科の鳥。梅の花が咲くころ人里近くで鳴き始めることから、春告鳥ともよばれている。秋から春にかけては平地や低い山で過ごし、笹鳴きをしながらやぶを伝っていくので、この頃の鶯を藪鶯ということがある。
さて、随筆に「夏鶯」(長谷川時雨)がある。
おやおや、もう時候は青くなるといふのにー初夏鶯のおとづれだと笑ひはしたが、よく来てくれたと思った。去年の秋の暴風雨で崖くづれや大樹の倒れたのが多かったので、鶯の宿も失はれでもしたのかと、日々忘失の、気ぜはしいながらも、時をり気にしてゐたのだが、今日になって訪れて来やうとは思ひがけないのであった。二三年前まではまだ片言のやうな、ケキョ、ケキョであったこの藪鶯も、今年はなかなか老成してきて、御無沙汰を申しわけないやうに、終日家の廻りで惜しみなくゆく春をうたってゐる。鶯の顔見知りといふとをかしいが、見だてのない、むくむくした黒っぽい、まだ鳴かない時分から、縁のきはまで水を飲みに来た馴染なので、鶯の方でも覚えてでもゐるのであらう。
老鶯や彦の山なる稚児落し 大堀 柊花
老鶯(おいうぐひす)漢家(かんか)出て(いでて)初夏(なつ)附子(つけこ)
老鶯や珠のごとくに一湖あり 富安 風生
「栞草」に、
老鶯とはもとより漢家の詩に出て、或は狂鶯とも乱鶯とも、すべて暮春の物なれども、残鶯は勿論にて、老鶯も夏の名となさば鶯に老の感情ありて、風雅は例のさびしみといはん。
とある。
また「俳諧歳時記」に、
鶯は二三月より鳴き始め、夏に至ればその声次第に生気に乏しくなり来る、これを老いたりとなし、老鶯といふ。古き書に、老鶯とはもと漢家の詩に出で、或は狂鶯とも乱鶯ともすとあれど、こは鶯を春のものとして時期外れの意ならん、声は夏季に入りたりとも鶯は声の狂ひ乱るるものにあらず。春よりは生気乏しくなれど、調子は寧ろ流暢となるものなり。されど鶯の附子とて、その声を学ばしむるも仲夏よりとす。
とある。
鶯は、鳥鋼スズメ目ヒタキ科ウグイス亜科の鳥。梅の花が咲くころ人里近くで鳴き始めることから、春告鳥ともよばれている。秋から春にかけては平地や低い山で過ごし、笹鳴きをしながらやぶを伝っていくので、この頃の鶯を藪鶯ということがある。
さて、随筆に「夏鶯」(長谷川時雨)がある。
おやおや、もう時候は青くなるといふのにー初夏鶯のおとづれだと笑ひはしたが、よく来てくれたと思った。去年の秋の暴風雨で崖くづれや大樹の倒れたのが多かったので、鶯の宿も失はれでもしたのかと、日々忘失の、気ぜはしいながらも、時をり気にしてゐたのだが、今日になって訪れて来やうとは思ひがけないのであった。二三年前まではまだ片言のやうな、ケキョ、ケキョであったこの藪鶯も、今年はなかなか老成してきて、御無沙汰を申しわけないやうに、終日家の廻りで惜しみなくゆく春をうたってゐる。鶯の顔見知りといふとをかしいが、見だてのない、むくむくした黒っぽい、まだ鳴かない時分から、縁のきはまで水を飲みに来た馴染なので、鶯の方でも覚えてでもゐるのであらう。
老鶯や彦の山なる稚児落し 大堀 柊花
老鶯(おいうぐひす)漢家(かんか)出て(いでて)初夏(なつ)附子(つけこ)
東西の橋をあつめて川涼し
水門にうしほのにほひ夏浅し
藤棚の紫といふやすらぎに
藤波の濃きところより風生まれ
おのづから藤散る蜂も来て散らす
葉桜の風をまともに小名木川
大海月小海月花のごと水路
海月浮く己が紋様損なはず
初幟はためく佃舟だまり
橡咲いて霞が関の昼餉どき
水門にうしほのにほひ夏浅し
藤棚の紫といふやすらぎに
藤波の濃きところより風生まれ
おのづから藤散る蜂も来て散らす
葉桜の風をまともに小名木川
大海月小海月花のごと水路
海月浮く己が紋様損なはず
初幟はためく佃舟だまり
橡咲いて霞が関の昼餉どき