俳句
カレンダー
06 | 2025/07 | 08 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | ||
6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 |
20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 |
27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
フリーエリア
最新TB
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
南瓜
赤かぼちゃ開拓小屋に人けなし 西東 三鬼
「俳諧歳時記」に
葫蘆科の蔓性一年草本にして畑に栽培す。茎葉とも粗剛にして刺毛あり、長さ数間
に及び、地に這ひ、又葉腋より巻鬚を出して他物にからむ。葉はほぼ円形乃至心臓形
にして欠刻あり。花は夏日、葉腋に大形の合弁花を開く、その黄花は瓜類中の最大な
るものなり。専ら食用に供す。栽培品種に縮緬、菊座、西京など称するものあり。
とある。
また「和漢三才図会」に
南京瓜は南京から種を得て長崎ではじめて植えた。あるいは甘埔寨瓜ともいうが、
もとは南蛮の種なのでそういうのである。
とある。
南瓜はウリ科の一年生蔓草。日本への渡来はカボチャ仲間のうちでもっとも古く
十六世紀中ごろポルトガル船によってもたらされた。江戸後期の作物栽培や育種を
記した「草木六部耕種法」に、「南瓜は最初東印度阿陳披塞国に生じたものである。
我が国に渡来したのは西瓜が渡来するよりも百年ほど前、天文年間のことで、西洋人
が船で豊後の国にやってきて、国主大友氏に種を献じた」とある。
さて、「ハローウイン」は、本来は聖夜の意味であるが、イギリスでは十月三十日の
夜、カボチャなどのウリ類をくりぬいて提灯をつくり、仮面、仮装して行列し、広場
の焚火の周りで歌ったり踊ったりして、最後に人形を燃やす。これは古いケルト人(ド
ルイド教)の祭で秋の収穫を祝い、悪い自然霊や魔女などを追い出す祭である。
アメリカに移ってからは、おもに子供の祭として賑やかに騒ぎ御馳走を食べる収穫
の祝いの行事となっていった。
杖当てて馬車にしやうか大南瓜 大堀 柊花
葫蘆(ふくべ)甘埔寨瓜(かんぼちゃ)阿陳披塞国(あかんぼちあ)
PR
酔うて寝むなでしこ咲ける石の上 芭蕉
「俳諧歳時記」に
山野に多き多年草、秋七草の内にて可憐の花を開くより鑑賞にも栽培さる。茎は高
さ二尺許に達し、葉は線状被針形にて尖り、対生す。夏秋の候、茎上に通常二箇づつ
の花を開く縁辺多く刻まれたる五片合弁のもの、普通は淡紅色なれど種々ありて美し。
栄雅抄に「花の姿美しく色々に咲けば、おさなき名子にたとへて撫子とす。また久し
ければ常夏と言へり。唐撫子は色々の品あり、大和撫子は紅梅色なり。」
とある。
ナデシコ属は北半球を中心に世界に三百種分布し、日本には四種分布する。夏から
秋にかけて花を開く河原撫子とその基本種蝦夷河原撫子は古くから親しまれ、秋の七
草の一つに数えられている。なお、かって河原撫子は中国原産の石竹が唐撫子と呼ば
れたのに対し、大和撫子と呼ばれた。
撫子の名は「出雲風土記」に初見する。「万葉集」では美の対象にされ、撫子の歌
二十六種中八種に愛しい女性の面影をかさねてある。また、常夏とも呼ばれ、「古今集」
に「塵をだに据ゑじとぞ思ふ咲きしより妹と我が寝るとこなつの花」などと詠まれて
いる。「源氏物語」では「常夏」を妻や愛人、「撫子」を幼児の象徴としてそれぞれ
使い分けして用いている。
さて、「源氏物語」(瀬戸内寂聴)の「常夏」より一部を紹介してみる。
お庭前に、いろいろとうるさい草花などは植えず、撫子だけを美しい色合いに取り
揃えています。唐撫子や大和撫子などとりどりに、たいそう可愛らしく垣根を作って
咲き乱れて、たそがれの薄闇の中に浮き立っているのが、何ともいえない美しい景色
です。花のもとに公達は皆立ち寄って、思うままに手折れないのを、物足りなく思い
ながら佇んでいます。
夕霧の中将は、こうした立派な方々の中でも、際立って優雅な美しいお姿です。
撫子や恋のはじめはやさしくて 大堀 柊花
常夏(とこなつ)お庭前(おにわさき)唐撫子(からなでしこ)
大和撫子(やまとなでしこ)
朝々に雀来る窓終戦忌
高層の鉄扉ひらきて魂迎へ
潮風をまともに島の施餓鬼棚
流灯の川より仰ぐタワーの灯
堂縁に子どもの遊ぶ地蔵盆
慎みを忘れて弾け鳳仙花
朝顔の棚の下なる小鳥籠
新涼や稽古扇を新しく
悪役の滅法よくて夏芝居
南北の世をまざまざと夏芝居
高層の鉄扉ひらきて魂迎へ
潮風をまともに島の施餓鬼棚
流灯の川より仰ぐタワーの灯
堂縁に子どもの遊ぶ地蔵盆
慎みを忘れて弾け鳳仙花
朝顔の棚の下なる小鳥籠
新涼や稽古扇を新しく
悪役の滅法よくて夏芝居
南北の世をまざまざと夏芝居
施餓鬼
雛僧の下駄並べゐる施餓鬼かな 星野 立子
「俳諧歳時記」に
陰暦七月、各宗寺院にて之を修す。中央に壇を設け種々の供物を供へ五色、或は
白色の幡に五如来または七如来の名号を書きて立つ。寺僧壇上の於いて読経し、無縁
の亡者の霊を弔ひ施食の法を行ふ。水死の人を弔ふため河岸又は水上に船を浮べて修
するを川施餓鬼・船施餓鬼 と言う。
とある。
施餓鬼は悪道に堕ちて飢えに苦しむ餓鬼に飲食物を施すこと。施餓鬼会の略で水陸
会ともいう。餓鬼はサンスクリット語プレータの訳で、「死者」または「死者霊」を原
義とし、のちには子孫が絶えて供養がなされず、つねに飢餓に苦しむ亡霊の意味があ
る。仏教では吝貪で布施せぬ者が死後、餓鬼に生まれ、飢渇に苦しむとされ、彼らの
住む餓鬼世界は六道輪廻の一となった。中国では、飢餓に悩む鬼神や餓鬼に飲食を施
す餓鬼供養の法会が発展し、また、「盂蘭盆経」の目連救母伝説と合わせて悪道に堕ち
て苦しむ先祖供養のための法会ともされた。
施餓鬼会は最初真言宗で、鎌倉期以後は浄土真宗を除く各派で行われるようになり、
今日に至っている。
さて、釈迦の十大弟子の一人、目犍連(モツガラーナ)は、マガダの国、ラージャ
ガハ市外のバラモンの子に生まれた。彼は隣村のバラモンの子、舎利弗(サーリブッ
タ)と親交があり、始めは共にサンジャの弟子であったが、後に釈尊の弟子となった。
教団の上足で、神通第一といわれたが、ラージャガハ市内を行乞中に、仏教教団を嫉
む執杖バラモンに襲撃されて倒れた。餓鬼道の堕ちた母を救うために、自恣の日に宗
僧を供養したと伝え、盂蘭盆会の起源とされた。
増谷文雄著「ブッダ・ゴ―タマの弟子たち」には、目犍連(モツガラーナ)と舎利
弗(サーリブッタ)の親交を主としながら、その人となりが記されている。
鉄橋の影をおどろに川施餓鬼 大堀 柊花
吝貪(りんどん)執杖(しゅうじょう)自恣(じし)
雛僧の下駄並べゐる施餓鬼かな 星野 立子
「俳諧歳時記」に
陰暦七月、各宗寺院にて之を修す。中央に壇を設け種々の供物を供へ五色、或は
白色の幡に五如来または七如来の名号を書きて立つ。寺僧壇上の於いて読経し、無縁
の亡者の霊を弔ひ施食の法を行ふ。水死の人を弔ふため河岸又は水上に船を浮べて修
するを川施餓鬼・船施餓鬼 と言う。
とある。
施餓鬼は悪道に堕ちて飢えに苦しむ餓鬼に飲食物を施すこと。施餓鬼会の略で水陸
会ともいう。餓鬼はサンスクリット語プレータの訳で、「死者」または「死者霊」を原
義とし、のちには子孫が絶えて供養がなされず、つねに飢餓に苦しむ亡霊の意味があ
る。仏教では吝貪で布施せぬ者が死後、餓鬼に生まれ、飢渇に苦しむとされ、彼らの
住む餓鬼世界は六道輪廻の一となった。中国では、飢餓に悩む鬼神や餓鬼に飲食を施
す餓鬼供養の法会が発展し、また、「盂蘭盆経」の目連救母伝説と合わせて悪道に堕ち
て苦しむ先祖供養のための法会ともされた。
施餓鬼会は最初真言宗で、鎌倉期以後は浄土真宗を除く各派で行われるようになり、
今日に至っている。
さて、釈迦の十大弟子の一人、目犍連(モツガラーナ)は、マガダの国、ラージャ
ガハ市外のバラモンの子に生まれた。彼は隣村のバラモンの子、舎利弗(サーリブッ
タ)と親交があり、始めは共にサンジャの弟子であったが、後に釈尊の弟子となった。
教団の上足で、神通第一といわれたが、ラージャガハ市内を行乞中に、仏教教団を嫉
む執杖バラモンに襲撃されて倒れた。餓鬼道の堕ちた母を救うために、自恣の日に宗
僧を供養したと伝え、盂蘭盆会の起源とされた。
増谷文雄著「ブッダ・ゴ―タマの弟子たち」には、目犍連(モツガラーナ)と舎利
弗(サーリブッタ)の親交を主としながら、その人となりが記されている。
鉄橋の影をおどろに川施餓鬼 大堀 柊花
吝貪(りんどん)執杖(しゅうじょう)自恣(じし)
八手の花
豆腐やの笛来てとまる花八手 高崎小雨城
「俳諧歳時記」に、
八手は漢名を八角金盤と称し、我国では「てんぐのうちわ」などとも言ってゐる。
五加科の常緑灌木で暖地に自生し、高さ七八尺に達する。冬日、枝梢間に花茎を抽き、小枝を分岐して、淡黄白色の小花球状をなして繖形花序に咲かせる。この花は冬の季感まことに豊かである。花後、果実は黒色に成熟するが毒性である。
とある。
八手はウコギ科の常緑低木。名は、八つ手の意味で、手のひらを広げたような葉の形に由来する。品種にシロフヤツデ、フクリンヤツデ、キモンヤツデなどがあり、ともに庭木として植えられている。
元禄時代(一六八八~一七〇四)の園芸書には名をみない。貝原益軒も「花譜」(一六九四)では触れず、「大和本草」(一七〇九)で「西州に多し・・・京畿にて未だこれを見ず」と解説。「草木奇品家雅見」(一八二六)には、葉が白く覆輪したフクリンヤツデを載せる。ヤツデの名は八手に基づくが、葉の切れ込みは七、九、十一と通常奇数で、九が多い。それを八としたのは、縁起を担いだと思われる。魔除けや疫病除けに庭に植えたり、門口に吊るす風習があった。
さて、「魔除け」は、外部から襲ってくる魔物を退散させること。もっとも一般的な方法は、家の門口に神仏の御札を掲げることである。そのほか各地に多くみられるものに、イワシの頭、蹄鉄、ハチの巣、花火の殻、ニンニク、ヒイラギの小枝などがあり、門口の御守りとされている。変わったものでは、東京の郊外などにもみられた「鎮西八郎為朝御宿」と書いた札を家の入り口に貼っておき、風邪の予防とした。また、「蘇民将来之子孫」と書いた木片を護符とする例もある。
灯ともれる路地の薄闇花八手 大堀柊花
大和本草(やまとほんぞう)京畿(けいき)家雅見(かがみ)
蹄鉄(ていてつ)五加(うこぎ)繖形(さんけい)
豆腐やの笛来てとまる花八手 高崎小雨城
「俳諧歳時記」に、
八手は漢名を八角金盤と称し、我国では「てんぐのうちわ」などとも言ってゐる。
五加科の常緑灌木で暖地に自生し、高さ七八尺に達する。冬日、枝梢間に花茎を抽き、小枝を分岐して、淡黄白色の小花球状をなして繖形花序に咲かせる。この花は冬の季感まことに豊かである。花後、果実は黒色に成熟するが毒性である。
とある。
八手はウコギ科の常緑低木。名は、八つ手の意味で、手のひらを広げたような葉の形に由来する。品種にシロフヤツデ、フクリンヤツデ、キモンヤツデなどがあり、ともに庭木として植えられている。
元禄時代(一六八八~一七〇四)の園芸書には名をみない。貝原益軒も「花譜」(一六九四)では触れず、「大和本草」(一七〇九)で「西州に多し・・・京畿にて未だこれを見ず」と解説。「草木奇品家雅見」(一八二六)には、葉が白く覆輪したフクリンヤツデを載せる。ヤツデの名は八手に基づくが、葉の切れ込みは七、九、十一と通常奇数で、九が多い。それを八としたのは、縁起を担いだと思われる。魔除けや疫病除けに庭に植えたり、門口に吊るす風習があった。
さて、「魔除け」は、外部から襲ってくる魔物を退散させること。もっとも一般的な方法は、家の門口に神仏の御札を掲げることである。そのほか各地に多くみられるものに、イワシの頭、蹄鉄、ハチの巣、花火の殻、ニンニク、ヒイラギの小枝などがあり、門口の御守りとされている。変わったものでは、東京の郊外などにもみられた「鎮西八郎為朝御宿」と書いた札を家の入り口に貼っておき、風邪の予防とした。また、「蘇民将来之子孫」と書いた木片を護符とする例もある。
灯ともれる路地の薄闇花八手 大堀柊花
大和本草(やまとほんぞう)京畿(けいき)家雅見(かがみ)
蹄鉄(ていてつ)五加(うこぎ)繖形(さんけい)